それは「甘く、やさしく、ロマンチックなドラマ」とは一線を画する。テレビの向こう側にいる視聴者の首根っこをつかまえ、物語に没頭させるだけの迫力に満ちていた。山口百恵の存在とともに、70年代テレビ史の伝説となった「赤いシリーズ」は、かかわったすべての役者たちを燃え上がらせた──。
「山口百恵の仇役になりますが、いかがですか?」
秋野暢子のもとに大映テレビからオファーがあったのは、75年のこと。秋野は同年の朝ドラ「おはようさん」のヒロインを務めた直後で、全国区の“さわやかな人気者”になっていたのだが──、
「当時の朝ドラは新人の登竜門で、いかにも“いい子ちゃん”のイメージ。だったら、イジメ役をやるのもおもしろいかなと思ったんですよ。ただ、そっちの印象のほうが強くなってしまいましたけど」
秋野は大阪出身で、朝ドラもNHK大阪の制作だったため、ここで初めて上京する。こうしてシリーズ第3作の「赤い運命」(76年)の撮影がスタートした。
「セリフは3倍“あえいで”言ってください」
何のことだろうかと思った。やがて、これこそが「大映ドラマ」の代名詞となるのだが、大げさなくらい感情を込めてセリフを言ってほしいと指示されたのだ。
秋野は面食らったが、宇津井健や三國連太郎といった重厚な俳優たちがいる。役柄もストーリーもこれまでとは一変するおもしろさがある。むしろ、楽しむような気持ちで取り組んでいった。
ただし、放映が開始されると、その“逆風”は想像をはるかに超えた。ネットなどない時代である。視聴者は役柄と俳優を混同し、非難の目を向ける。
「覚悟はしていたけど、私の役が回を追うごとに悪くなっていくんですよ。街で子供に石を投げられたり、カミソリの入った手紙が送られてきたり‥‥。むしろ、私よりも大阪の母のほうが悩んでいました。市場に買い物に行っても、何も売ってもらえないということもあったんです」
百恵演じるヒロインの直子と、秋野演じるいづみは養護施設で育ったが、本来の父親と違う男に引き取られてしまう。回が進むにつれ真実が明らかになっていくのだが、電車で撮影に通う秋野の身にも容赦なく「混同」は襲う。
「大学生らしい男の人が『いづみ、いづみ』って話しかけてくるんです。私に『お前に本当の父親を教えてやろうか』って。演じている私は『知ってるわよ』と言いたい思いを必死でこらえていましたね」
その“本当の父親”を演じた三國連太郎から、演技のキレの悪さを指摘されたことがある。
「仇役に悩んでいる? 全然、気にしないでやりなさい。これから女優を続けていくうえで、この役をやっておくと幅が広がるから」
以来、秋野からは迷いが消えた。そしてもう1人、シリーズの顔である宇津井健から「役者のたたずまい」を学んだ。
「控え室でも椅子に座らないので、私も同じように立っていました。それに宇津井さんは炭水化物を口に入れない主義なので、ゴハンを食べるシーンは大根おろしで代用されていました」
いつも温厚で冷静な宇津井が、一度だけ怒りをあらわにした瞬間を見た。本来の台本に「差し込み」と呼ばれる形で、変更ページが綴じてある。そのホチキスを無言で引きちぎり、現場に緊張感を与えた。
収録までにすべてのセリフを消化する宇津井のプライドであった──。
◆アサヒ芸能5/13発売(5/22号)より