70年代を代表するスーパースター・山口百恵は、みごとな幕引きとともに表舞台から姿を消した。数々の名曲や映画の功績も忘れがたいが、百恵を国民的なヒロインに導いたのは「赤いシリーズ」にほかならない。ひたむきな演技と先の読めない展開は、百恵と一体化した「赤い血の物語」であった──。
出生の秘密、悲運な事故、禁じられた愛、嫉妬、復讐、美しい嘘‥‥そして、ついに明かされる真実──。
2月25日に刊行を開始した「山口百恵『赤いシリーズ』DVDマガジン」(講談社刊)は、こんな前口上に彩られている。ドラマという分野において、今なお目が離せない要素がすべて収められているのだ。
実際、ペ・ヨンジュンらが多くのファンをつかんだ「韓流ドラマ」も、そのルーツは「赤いシリーズ」であることが公然と語られている。脚本家のジェームス三木は、シリーズ第1弾の「赤い迷路」(74年)から参加しているが、同じTBSで金曜9時の交互枠だった「白いシリーズ」(田宮二郎主演)との違いを意識した。
「田宮二郎と山本陽子の大人の恋がテーマだった『白いシリーズ』より、もう少し幅広い世代に観てもらおうとしたのが『赤いシリーズ』だったね」
そして大映テレビの春日千春プロデューサーにより、冒頭のような“骨子”が伝えられたという。
同じ時間帯で半年を松竹が担当して「白」を、残りの半年を大映テレビで「赤」という割り当てだった。すでに「白」が安定した人気を保っていたため、後発の「赤」は、後に〈大映ドラマ〉と称されるドラマツルギーを過剰なまでに求めてゆく。
その色分けは、日本でもワインの製造・販売に力を入れ始めたサントリーがメインスポンサーだったため、普及の意味で「赤」「白」になったと三木は言う。
「俺たちはよく『ドラマは突き詰めれば食欲と性欲だ』って言うんだよ。敵と戦って勝つのか負けるのか、愛を実らせるのか。こうした本能と理性とのせめぎ合いがドラマの脚本になっていくんだ」
同じ時代に「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」を書いた故・向田邦子は人を描く。「渡る世間は鬼ばかり」の橋田壽賀子は、長セリフを多用することで「3回に1回しか向き合わない」が持論の視聴者を耳から引きつける。
三木は「赤い迷路」において、ストーリーで見せていこうと考えた。視聴者が登場人物になりきるような感情移入を主眼に置いた。
三木の脚本は第2話からであったが、第1話を試写室で観て、1人の少女に驚かされる。
「まだ4番手くらいだったけど、百恵ちゃんが飛び抜けて光っているんだ。演技は『そんなにヘタじゃない』って程度だったけど、何よりあの目がよかった」
まだ15歳のあどけない少女であったが、その瞳には「哀愁」を漂わせていた。それは、男たちに「俺が守ってみせる」と思わせる天性の魅力だった。
クレジットでは主演が宇津井健、さらに長山藍子や松田優作といった大物が並ぶが、三木はプロデューサーに進言した。
「山口百恵を前面に出していったほうがいいね」
やがて「赤いシリーズ」は、百恵が軸になることで高視聴率ドラマへと発展していくのであった。
◆アサヒ芸能4/28発売(5/8・15合併号)より