テリー 最初に佐村河内さんと会った時は、どんな印象でした?
新垣 いちばん最初は、彼は「自分は音楽家であるんだけども、食事をしないんだ」って言ったんです。そういう自己紹介をしたわけなんですね。
テリー え?「俺はあんまり食事をとらない」と?
新垣 いえ「一切食べない」と。
テリー でも、ずいぶん太ってるじゃないですか。
新垣 そうですね(笑)。それは18年も前ですから、まだ彼も若かったんですけど。
テリー 仙人みたいなものだっていうアピールなのかな? 初めから、ウソをついているじゃないですか。
新垣 だからいちばん最初の段階で、彼との間には心理的な壁を作ってしまったんです。なので「深いところでつきあった」ということはなかったですね。お互いが、うわべの部分だけでやり取りをしていたような感じでした。
テリー 彼はいつから「自分は全聾(ろう)だ」と言っていたんですか。初めから? それとも、ある時から言いだしたんですか。
新垣 ある時からですね。十数年前に、ゲーム音楽が少し話題になったり、少しヒットしたりということがあったんです。その時に初めて「実は全聾だ」ということを言ってアピールしようとしたんですね。
テリー 「俺は耳が不自由なんだ」ということを営業戦略にしようと。
新垣 はい。そしてそのことは、外部には言わないという約束だったわけです。
テリー 考えてみたら、プロレスラーが「墓場から来た死者」とか「人を10人殺した」とかキャッチコピーを言ってるのに近いですよね。
新垣 同じだと思います。でも、その戦略があっても、結局はあまりうまくいっていなかったんですよ。だから私としても「目立たないし、小さな業界でごちゃごちゃやってるぐらいだったらいいかな」という、とても甘い考えだったんです。作曲をして、作曲料をもらうだけの関係なんだと。でも3年前に「交響曲第一番 HIROSHIMA」のCDが発売されて、そこからこの問題が表面化していきました。
テリー 全聾の作曲家として、NHKのドキュメンタリー(NHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」)で取り上げられたことも、CDの大ヒットにつながりましたよね。あの番組は見ましたか?
新垣 見ました。見た時点で「これはもういけないな」と。「このまま続けていったら大変なことになるな」と思いました。もうその時点で、大変なことにはなっていたんですけど。ただ、外へとアピールしていく彼の営業的な部分は、一切ノータッチで来てしまったものでしたから。
テリー 「新潮45」(新潮社)に音楽評論家の野口剛夫さんの書いた記事(「『全聾の天才作曲家』佐村河内守は本物か」)が出ましたよね。あの記事での指摘は、ずいぶんとショックだったんじゃないですか。
新垣 まだ世間的には称賛の声が大きかったんですけど、わかる人はわかるんですよね。自分の周りの音楽専門家が見れば、彼が作っているというのは、ありえないわけなんです。実際にそういったツッコミも、あるにはありました。ただ、メディアという形では表に出ていなかったんですね。
テリー それこそ「現代のベートーベン」とか言われて、そのイメージのほうがとにかく大きかったよね。
新垣 野口さんは私ともまったく面識がなかったんです。そういう方がほとんど本当のことを言い当てていて、それを記事にしたということで「これはオセロゲームの四隅を取られちゃった状態だな」と思いました。
テリー 佐村河内さんには、すぐに電話をしたんですか。
新垣 連絡しました。その頃、自分はもうやりたくないという気持ちがあったので、こちらから連絡を絶っていたんです。彼からは次の打ち合わせをしたいという連絡が連日来るんですが、シャットアウトしていました。その時にちょうどあの記事が出たので、やはり「このまま続けるのは難しいです」と伝えたんです。
テリー そうしたら彼は?
新垣 彼は「なるほど」と言ったんですけど、「でも、これはまだ小さな声であって、大したことはないんだ」ということを言いました。
テリー う~む。度胸があるというか、ずうずうしいというか‥‥、あの時点でまだそんなことを言ってたんですか。
新垣 当時、彼は作曲家としてもやっと認められて、報道機関からいろんなオファーを受けていたので、ここで「世界進出をするんだ」みたいなことを考えていたんでしょう。