●ゲスト:神山典士(こうやま・のりお) ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。96年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化‥‥と多岐にわたる。14年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。
全聾の作曲家として「現代のベートーベン」と絶賛されていた佐村河内守氏。その虚構を世に知らしめたノンフィクション作家・神山典士氏が登場。騒動の発端となった記事「全聾の作曲家はペテン師だった!」の裏舞台と人間模様に、天才テリーが迫った!
テリー 神山さんが佐村河内守さんの盗作に気づいたのは、いつ頃だったんですか。
神山 去年の12月からですね。
テリー 音楽評論家の野口剛夫さんが、佐村河内さんの作品に関する批評を「新潮45」に載せてからですか。昨年の秋「『全聾ろうの天才作曲家』佐村河内守は本物か」というタイトルで、彼が礼賛されている状況を批判的に書いていらっしゃいましたよね。
神山 その記事は読みましたが、クラシック音楽の評論家の話なので「マーラー風」とか「ベートーベン風」とか言われても、普通はピンと来ないですよね。
テリー そうすると、12月に何があったんですか。
神山 僕は義手のバイオリニストの大久保美来(みく)ちゃんの本(「みっくん、光のヴァイオリン 義手のヴァイオリニスト・大久保美来」、佼成出版社)を書いてから、ずっと大久保家とのおつきあいを続けていたんです。みっくんはもともと、佐村河内さんから「ヴァイオリンのためのソナチネ」という曲をもらって演奏していたんですね。ところが去年の秋に、佐村河内さんが有名になったことで彼が増長してしまったのか、みっくんに対して「サントリーホールに出してあげるから、義手を外してステージに登って、そこで初めて義手をつけろ」と言ってきたんです。
テリー 記者会見でも、その指示に関する真意を問われていましたね。彼は「何が悪いんですか。感動すると思いませんか」と回答して。「感性がない人間の発言だなぁ」と僕は思った。
神山 そうですよね。それから「卓球部を辞めろ」といった無理難題を言ってきた。決定的だったのは「僕に従ってプロになるのか、僕に逆らってヴァイオリンをやめるのか、何月何日までに返事をしなさい」というメールが来たことでした。
テリー 服従を迫っているよね。ひどい。
神山 このことでみっくんのお父さんの大久保真さんは非常に疑問を感じて、新垣さんに「実は、佐村河内先生からこのようなメールが来て、13歳の娘は悩んでいるんです。音楽の世界では、こういうことが普通にあるんでしょうか」と相談した。というのは、新垣さんは、みっくんのピアノの伴奏の先生だったんです。
テリー どうしてそんな高圧的なことを言ってきたんだろう?
神山 佐村河内さんにとっては、みっくんという存在は、自分の成功物語を豊かに、大きくしていくための一つのパーツだったんでしょうね。その証拠に、佐村河内さんは去年の暮れの段階で、音楽をやりたい障害者の子を何組か家に集めて、オーディションまがいのことをやっていたという情報もあるんです。だから、絶えずそういうハンデのある子供たちを身の回りに集めて「音楽的に応援するよ」というポーズを作る。
テリー う~む‥‥。
神山 大久保さんが新垣さんに相談した時点では、ゴーストのことなんてもちろん知らないんですよ。でも、みっくんのことを相談したら、逆に告白を受けたんですね。「実は僕が作っていました」と。
テリー それはびっくりするよね。
神山 その段階では、新垣さんは「もう自分たちのコンビは、クラシック界からフェードアウトすればいい、そうすれば大事にならないだろう」と思っていたんです。しかし報道にあったように、新垣さんが佐村河内さんを説得しても「いやいや、まだ書いてくれ」と、後ろに下がる様子がない。
テリー 欲が出たんだね。
神山 そうなんでしょうね。それで新垣さんと大久保さんは困ってしまって、大久保さんは他に誰にもこの問題を相談する人がいなかったこともあり、みっくんの本を書いた僕に話を聞いてほしいと。それは週刊誌に書いてくれ、というようなことじゃなかったんです。「王様の耳はロバの耳」じゃないですが、大事なことを言わないと、気持ちがどんどん苦しくなるってあるんじゃないですか。
テリー じゃあ、それを聞いた神山さんは「これは許せん」と思ったんですね。
神山 そういうことになりますね。