テリー 歌手デビューは東海ラジオから依頼されたの。
あべ そうです。「年末はいつもと違うことをやってほしい」。私の少女歌手時代をよく知っている制作部長から、「しーちゃんは歌が歌えるから、歌ってほしい」って言われたんですよ。それで当時名古屋で人気だった「欲求不満フォークソング・ボーイズ」っていうバンドのリーダーに「さよならを風に乗せて」という歌を書いていただいたんです。
テリー 最初は「コーヒーショップで」じゃないんだ。
あべ そうですね。その曲を聴いたプロダクションやレコード会社の方が「デビューしないか」ってお声をかけてくださったんです。
テリー その「さよならを──」という曲は、何でデビュー曲にならなかったの?
あべ 最初はその曲でデビューっていう話だったんですけど、いろんな大人の事情があったみたいですね。
テリー いきなりの大ヒットでビックリしたでしょう。次の「みずいろの手紙」も売れたよね。
あべ もう大変でしたね。「みずいろ──」は、ほんとに苦しんで歌った歌ですし。
テリー 何で? 名曲中の名曲じゃない。
あべ なんか男性に媚びてる感じがしたんですよ。当時はちょうど女性が強くなって来た時代で、オノヨーコさんが「女性上位ばんざい」っていう歌を歌ってるのに「みずいろの手紙」?って。
テリー まぁ、清楚なお嬢様みたいな感じの歌詞ですよね。
あべ それが自分とはあまりにも違うから。正反対と言ってもいいぐらい。
テリー そうなんだ(笑)。
あべ それで「レコーディングに行かなきゃいいんだ」と思って、自分の家の部屋に隠れたんですけど、結局スタッフの方がみんな合鍵を持ってるから引っ張り出されて(笑)。泣きながらレコーディングしました。
テリー そんなに悔しかったんだ?
あべ すごい情けなかったんですよね。20歳ぐらいって意気盛んな頃じゃないですか。まだあんまり社会のシステムも知らなくて、いちばん元気で、「さあ、これから行くぞ」っていう時に、「ああ、私はこうやって負けていくんだ」って、それがすごいツラかったんですよ。
テリー でも、結果的には大ヒットして、紅白にも出るじゃないですか。
あべ だから複雑な気持ちでしたね。
テリー じゃあ「みずいろ──」を封印してた時もあったの?
あべ ありましたね、1年ちょっとぐらいですけど。でもある時、どうしても歌わなきゃいけない時があって。そしたら目の前の女性がポロポロって涙を流したんですよ。それを見た時に「もう世の中に出したものは私のものじゃない、皆さんのものだ」って思ったんですよ。その曲の思い出は人それぞれだから、それを歌わないってことは、その方の思い出まで封印してしまうことなんだなって。だから私、すごく反省して。それからは気持ちよく歌わせていただいています。
テリー その後「トラック野郎」や「遠山の金さん」にも出て、役者としても活躍しますけど、歌手とどっちが好きでした?
あべ 私は子供の頃から自分では役者の方が好きだと思ってたんですよ。だけど大人になって、いざプロとして両方やってみると「あれ、歌の方が好きなのかな」と思いましたね。やっぱりお客さんの反応がすぐわかるから。
テリー 役者でも舞台だと目の前にお客さんがいるじゃないですか。
あべ でも、1カ月とか毎日同じことをやるのが私には向かないみたいで。毎日少しずつ積み上げていく楽しみもあると思うんですけど、私はちょっとそこに行けなかったですね。