「シリアルキラー」という言葉を知っているだろうか。異常な心理的欲求のもと、一定の冷却期間を置きながら、1カ月以上にわたって複数の殺人を繰り返す、連続殺人犯のことである。その代表的な人物が、吹上佐太郎だ。
明治二十二年(1889年)、京都・西陣織の職人の子として生まれた吹上は、27人以上の女性に性的暴行を加え、うち6人を殺害している。11歳で織物職人の店に丁稚奉公したが、店の金を盗み出してクビに。その後、京都市内の酒屋で働き始め、なんと17歳で36歳も年上の女性と同棲を始めたという。若いツバメだ。
だが53歳の女性との関係では満足できず、近所に住む11歳の少女と性交渉するため、山に連れ出した。ところがその少女が抵抗したため、殴りつけて犯した後、殺害してしまう。
この事件は、同棲相手の警察への通報で発覚した。吹上は明治四十三年(1908年)に無期懲役刑となったが、明治天皇が崩御。年号が大正となる際、恩赦によって刑期は無期から懲役15年に短縮された。大正十一年(1922年)3月18日、34歳の時だった。
だが吹上は、15年間の刑務所暮らしでも改心することはなかった。性への執着は収まらず「木村道蔵」や「早川義郎」と名前を変えて茨城、千葉、群馬、長野、埼玉、神奈川などを転々としながら犯行に及ぶ。相手が拒否、反抗の態度を示した場合は殺害。コトに及んだだけの相手は「生き別れ」、絞殺した相手を「死に別れ」と表現したという。
結局、逮捕されて、大正十五年(1926年)7月2日に死刑が確定する。同年9月28日に、刑は執行された。
まさに「性獣」だが、ある種の文学青年だった。刑務所暮らしの間、ソクラテス、アリストテレスの哲学書まで読みあさったというのだ。その後、原稿用紙3000枚にも及ぶ自分の半生を振り返る自伝「娑婆」の執筆にとりかかっている。
だが印刷、製本まで終わり、広告も出ていたが「殺人鬼が書いた本は風紀を乱す」として、直前で発売中止に。世に出ることはなかった。それでも印刷を終えたうちの1冊は、数時間後に市ヶ谷監獄で絞首刑になる吹上に手に渡されたという。あまりに身勝手な38年の人生だった。
(道嶋慶)