2012年の一斉摘発により壊滅に追い込まれたが、現在は復活し、ひっそりと営業を続けている沖縄県沖縄市の「吉原社交街(コザ吉原)」。復活した理由として、摘発後に沖縄中部の性犯罪が急増し、性サービス業界の規制が緩くなったことが挙げられている。
一度、壊滅した「ちょんの間」が復活するのは、かなり稀なケースである。例えば関東屈指の「青線地帯」として有名だった神奈川県横浜市の黄金町。この地が全盛期といわれていた1990年代には、中国や東南アジア、中米など、延べ1000人の外国人女性が働いていた。
ところが2002年には地域住民らによる「風俗拡大防止協議会」が結成され、2005年には警察による集中的な摘発により、8月には全店が閉店。また、コザ吉原とともに沖縄の二大赤線地帯として名を馳せていた宜野湾市の「真栄原社交街(通称:新町)」は一斉摘発を受けた2009年以降、長い間ゴーストタウンのようだった。今では旧置屋を取り壊してアパートが建設されるなど、再開発が進められている。
なぜ、コザ吉原は復活できたのか。その理由を現地で調べていると、とあるスナックのママからこんな話を聞くことができた。
「元々、2009年の新町や吉原の摘発は、反社がバックについている置屋を警察が潰すのが目的だったと聞きました。私が知る限り、沖縄のちょんの間で反社がついているのはほんの一部だったんです。ところが地元住民の反対もあり、警察は全てを摘発せざるをえなかった。特に新町があった宜野湾市では、フェミ団体の声から反対する声が多く聞かれたようです。今、吉原で復活している置屋は反社とは関係ないので、営業できるようですね」
一方、沖縄市に住む性サービス店の男性からは、こんな声が。
「昔は本島から、ホストクラブの借金などのカタに売られて働いている子が多かったのですが、今のコザ吉原ではスカウトマンを使っていないと聞きます。ホストがスカウトマンに女性客を紹介して性サービス店で働かせるのは、反社に金が落ちるということですからね。今は単に生活が苦しい女性が自発的に働いて、それなら…と警察も目をつむっているのではないですか」
新町があった宜野湾市では2009年の摘発以降、メンズエステなどが軒並みオープンしたが、近隣住民からのたび重なる苦情によって、これも摘発された。
一方、コザ吉原がある沖縄市で近隣住民に話を聞くと、
「派手に営業して迷惑をかけているわけではないし、性犯罪が減るのであれば、それでいいのでは」
ちょんの間の復活に肯定的な雰囲気。地元ならではの様々な裏事情があるようだ。