日米通算4367安打を記録した偉大な元プロ野球選手・イチローを見出したのは、1994年からオリックス監督に就任した仰木彬氏であることは知られている。だが「イチローは1年目から凄かった」と回想するのは、権藤博氏だ。
それはイチローのデビュー1年目(1992年)、権藤氏がダイエー1軍投手コーチとなって2年目のことだった。
高卒1年目のルーキーとの対戦時、権藤氏は「坊やには真っ直ぐ」とバッテリーに指示。だが、ことごとくファウルにされたため、変化球で仕留めようと作戦を変更。ところが…。権藤氏はその時のことを、野球解説者・下柳剛氏のYouTubeチャンネル〈柳に風【下柳剛公式チャンネル】〉で次のように語っている。
「普通、高校生はちょっと曲げたらクルッと回るんだけど、イチローはセカンドにライナーを打った。こいつはデキる、と」
とはいえ、土井正三監督が指揮を執った1992、93年のイチローは、1軍と2軍を行ったり来たり。「あんないい選手を2軍に置いてどうするんだ」と疑問を抱いていたという権藤氏は、
「それを使わない監督はバカだなと…」
なんとも辛辣である。
仰木監督が就任した1994年、イチローは最多安打と首位打者のタイトルを獲得。その際、振り子打法に批判的だった土井監督を揶揄する声も聞かれた。とはいえ、1992年は95打数24安打で打率2割5分3厘。1993年は64打数12安打で打率1割8分8厘。
「イチローがチャンスを生かしきれなかった側面もありますね」(スポーツ紙デスク)
とにもかくにも結果オーライ、か。
(所ひで/ユーチューブライター)