21世紀の現代において「錆びない鉄」といえば、ステンレス鋼をイメージする。ステンレスが開発された1913年から遡ること千数百年の415年、古代インド、グプタ朝最強の皇帝のひとりであるチャンドラグプタ2世の時代に建てられ、1600年以上も錆びていない鉄柱がある。デリー市郊外のクトゥブ・ミナール内にある「アショカ・ピラー(アショカ王の柱)」、通称「デリーの鉄柱」である。
この鉄柱、高さは約7メートルで、地下に埋もれている部分は約2メートルあるとされ、直径44センチ、重さはおよそ10トンもあるという。世界のオーパーツ研究家が語る。
「この鉄柱はもともと、ヴィシュヌ・パダという丘の上にあったヴィシュヌ寺院の柱の一部で、それを13世紀の奴隷王朝建国に伴い、ここクトゥブ・ミナールへ移設したと言われています。鉄柱の頂上に装飾的なチャクラがあしらわれ、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれています。風雨に晒されながら、なぜ1600年以上も錆びずにいたのかについては長い間、謎に包まれていました。そのため、地球外の金属でできている、あるいは、当時の文明を超えた高度な技術で作られたから…など、諸説ある。地元では、この柱は地中深くに棲むヴァースキという大蛇の王の首に刺さっている、との伝承もあります。そんなことから、ご利益を得ようと地元の人々が柱を触ったり、上によじ登る者があとを絶ちません。この地域の住民には、強い日差しから肌を守るため体に油を塗る習慣がありますが、一時はその油が錆を防いでいるのでは、という説が流れたこともあったそうです」
そんな「デリーの錆びない鉄柱」の謎が解き明かされたのは、2003年だった。インド工科大学カーンプル校のバラスブラマニアム博士が「Current Science」誌に発表した論文によれば、鋳鉄の構造には、金属と錆の間にバリアを形成する「ミサワイト」という保護層があるのだと。古くからインドでは鉄を精製する際、ミミセンナという、リンを豊富に含む植物を加えていたことからリンの含有量が多くなり、ミサワイトが強力なバリアの役目をしたのではないか、との仮説を立てたのである。
ちなみに現代の鉄に含まれるリンの含有量は、0.05%以下。一方、デリーの鉄柱は1%で、純度は99.72%。古代インドの冶金技術には驚愕するばかりだ。では、その技術をいったいいつ、誰が伝授したのか。その謎はまだ解明されていない。
(ジョン・ドゥ)