1975年、都立駒込病院が都立がんセンターとして再出発します。「学閥を廃す」という大志を掲げて全国から約200名の医者を招集しました。外科医はそのうち約25名。その中で食道ガンを担当する医師は、私を含めて3名です。
それ以前の食道ガンの手術は、胸とおなかと首を切開するかなり大がかりな手術でした。医療技術の進歩により、かなりスマートな手術になってきたのもこの頃です。4~5時間で手術が終わり、輸血が不要な程度の出血で済み、集中治療室で手当てをすることで術後の合併症にもかかりづらくなった。患者さんは術後3~4週間で食事ができるようになり、退院。いい時代になってきたわけです。
我々は意気軒高として手術をしていましたが、ある日、ハッと気づいたんです。ガンが再発して戻ってくる人数が、大がかりな手術をしていた頃と大差ないことに。術前の検査も手術の技術も術後の管理も劇的な進歩を遂げたのに、治療成績には変化がない。
医学の進歩が治療成績に反映されていない現実を突きつけられたわけです。そこで私は西洋医学の限界に気づくことになります。
人の体には多くの器官があり、互いに連携していて、臓器の間には隙間もあります。西洋医学は病巣、つまり局所を手術することにはたけていますが、「つながり」や「隙間」に対する解答を持っていない。病巣と他の部分とのつながりや、全身の調和に対しては、まったくの無力なんです。
私は多くの書物を文字どおり読みあさりました。そして「つながり」を診る医学、あるいは全身の調和を診ることができるのは、中国医学だと確信しました。
東京都の衛生局に申請して、姉妹都市である北京へ視察に行ったのです。
現地では、北京と上海の主要なガン治療施設をこの目で見て歩きました。中国医学は、漢方薬と鍼灸、気功と食養生が基本なのですが、中でもいちばん、ガンの再発防止や治療成績を上げるのは気功なのです。北京の肺がん研究所では、手術を行う時に2本だけ鍼麻酔を打ちます。事前に3週間、気功を続けると鍼麻酔の効果が上がるという事実を目の当たりにして、私は「これが中国医学の核心だ。中国医学を取り入れないとダメだ」と決意して帰国しました。さっそく、駒込病院で手術を担当した患者さんに気功を教え始めたのです。
しかし、当時は医者が患者さんに病名を告知しない時代でした。「あなたはガンだから再発防止のために気功をやりましょう」とは言えないわけです。気功の具体的なメリットを伝えられないんですから当然、患者さんも乗り気にならない。「広められないかもしれない」と意気消沈しかけましたが、いずれ「東から風が吹く」と気持ちを新たにしました。中国医学だから本当は西なのですが、東洋医学なので「東から風」というわけです。
私は駒込病院を辞め、82年、川越に帯津三敬病院を作ったのです。
◆プロフィール 帯津良一(おびつ・りょういち) 医学博士。東大医学部卒、同大医学部第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、帯津三敬病院を設立。医の東西融合という新機軸をもとに治療に当たる。「人間」の総合医療である「ホリスティック医学」の第一人者。