アサ芸読者の皆さん、こんにちは! 西村知美です。
最近は若い人たちの間でも昭和歌謡がブームですよね。特に80年代アイドルの再燃ということで、同じ時代にデビューさせていただいたことに感謝しています。
80年代は「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)や「ザ・ベストテン」(TBS系)といった歌番組をはじめ、バラエティー番組がすごく多かったので、とにかく毎日が目まぐるしく過ぎていきました。1日に歌番組が2〜3本あって、その合間に中抜けをしてラジオ番組や雑誌の取材。移動中の車内に記者さんが同乗してのインタビューも数知れず。海外で写真集やジャケット撮影があるとカレンダー撮影もやってCMの撮影もやって‥‥とか。とにかく詰め込むだけ詰め込む!それが当時の芸能界スタイルだったんですよね。
そんな状況でダブルブッキングになってしまうと、もう移動時間が間に合いません。ある時、午前中は京都で時代劇の撮影をして、お昼には名古屋で歌のステージ、夕方は熊本でイベント出演という強行スケジュールの日があったんですが、さすがにもうイベントのリハーサルに間に合わないからヘリコプターで移動したなんてことがありました。えっ? ヘリコプターが怖いかって? いやいや、そんなことを言っている場合じゃありません。先に到着した先輩方や出演者の皆さんを新人の私がお待たせしてしまうということの方がよっぽど怖いですからっ(笑)!
常に時間との勝負でしたからタクシーでの移動時間が睡眠タイム。夜、テレビ局から出るとタクシーが待機していて「これから仙台へ向かうからその間、寝ていて」って当時の事務所の方に言われて、ふと後部座席に目をやると、布団と枕が用意されているんですよ。〝えっ!? ここがホテル代わり?〟みたいな(笑)。
きっと深夜で新幹線も動いていなかったんでしょうね。事務所も苦肉の策だったんだと思います。
当時のスケジュールってすごいんですよ。ドラマだと終了時間が27時、28時ってサラッと書いてあるんです。ほんと、サラーッと。
でも、こちらは朝5時に終わっても6時には迎えが来てすぐ撮影でしょう。シャワーを浴びる時間すらありません。何度かお願いをしてそこの撮影スタジオに泊まらせてもらったこともありましたね。
さすがに夜中0時に仕事が終わって朝5時のお迎えまでに「1曲覚えて、サイン色紙500枚書いて、ドラマの台詞を覚えて、取材用にプライベートグッズを用意して」って言われた時、私、もうどうすることもできなくて車の中でマネージャーさんに「泣いていい?」って言って、大泣きしちゃいました。マネージャーさんもね、一緒になって泣いてくれて。
だから、あの頃は逃げ出しちゃうアイドルの方が多かったです。実家に帰っちゃって連絡が取れないとか。
その気持ちはすごくわかるんです。私もね、毎日通っていた堀越高校の通学途中に反対の電車に乗ろうかと思ったことが何度もありましたもの。〝もう、ここで全部捨てて、誰も知らない街に行ってしまおう〟なんて思いが幾度となく頭を過ぎったことか。まあ、私にはそんな勇気はなかったんですけど(苦笑)。
堀越高校といえば、当時の私にとって唯一のオアシスだったんですよ。14歳で上京して大人に囲まれてお仕事をする中、流行グッズだとかおいしいケーキの話だとか、いわゆる忖度など一切なく高校生らしい会話で盛り上がれる。素のままの自分でいられる貴重な時間でした。
今でもその頃の友達と同窓会で会ったりすると、一瞬で10代の自分に戻るから不思議ですよね。
芸能界では同じクラスだったのりちゃん(酒井法子)と仲よくさせてもらっています。20代の頃は近所に住んでいたので、しょっちゅうのりちゃんの家に遊びに行っていたんですよね。
当時、ものすごく忙しかったと思うのに、わざわざ私のためにオリジナルソングを作詞作曲してレコーディングまでしてプレゼントしてくれたんです。私からは真っ白な絵本にイラストを描いてメッセージを添えてプレゼントしたりして。
もうそれを渡したのが40年近く前になるのに、この間、のりちゃんのラジオ番組に出させてもらったら、なんと持参してくれたんですよ! まだ大切にとっていてくれて感激でした。
私、のりちゃんって結構、バンバン捨てちゃうタイプだろうなと思っていたんですけど、全然違いましたね(笑)。だって、何といってものりちゃんはトップアイドルで多忙でしたから。「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)のロケでも「ニューヨークに行ってくるんだよ」と言うので「え〜、どのぐらい行ってくるの?」って聞いたら「0泊3日」って言ってましたね。滞在時間3時間だって! さっきの私の〝忙しかった〟発言は撤回してくださーい(笑)。
先日行われた香港での6年半ぶりのコンサートも大盛況で、のりちゃん、ますます輝いていますね。
そうそう、少し前の話になりますが、大先輩の森田健作さんとご一緒させていただいているラジオ番組「森田健作 青春の勲章はくじけない心」(ニッポン放送)で、のりちゃんと杉浦幸ちゃんと初めて3人そろって昔話に花を咲かせました。
私たち3人は「モモコクラブ」の出身なんです。幸ちゃんとはプライベートでもよく買い物に行ったり遊んだりしていたんですけれど、なぜだか一緒にお仕事で共演する機会がなかったんですよね。どうしてかなぁ? と思っていたら、大人の事情とやらで共演NGが出ていたみたい(笑)。1度もお会いしたことがないのに「犬猿の仲」だなんて噂が立っちゃう‥‥それが芸能界です(笑)。
西村知美(にしむら・ともみ)70年生まれ、山口県出身。85年、第1回ミス・モモコグランプリ。86年、映画「ドン松五郎の生活」で主演デビュー。92年よりTBS「さんまのスーパーからくりTV」にレギュラー出演。検定マニアとしても知られ、手話技能検定2級、1級小型船舶、お好み焼き検定初級など50種類以上を取得。