●ゲスト:池上季実子(いけがみ・きみこ) 1959年生まれ、米ニューヨーク州出身。3歳で帰国し、京都で育つ。祖父は歌舞伎役者で人間国宝の八代目坂東三津五郎(75年没)。中学・高校時代を東京で過ごし、74年にテレビドラマ「まぼろしのペンフレンド」でデビュー。84年「陽暉楼」にて第7回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、89年「華の乱」にて第12回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。昨年デビュー40周年を迎え、近著「向き合う力」では自身の人生を振り返り、困難を乗りきるための考え方を示している。
昨年デビュー40年を迎えた池上季実子。日本アカデミー賞主演女優賞という輝かしい経歴の裏に、複雑な生育環境があったという。数々の代表作出演を経て、今もみずみずしい美しさを放つ池上に、天才テリーが高倉健と菅原文太の共演秘話から恋愛観まで、全て丸裸にした!
テリー 池上さんは、昨年デビュー40周年の節目に出された「向き合う力」という本が評判ですよね。本にはどんな思いを込められたんですか。
池上 芸能生活40周年ということで、出版社さんからご提案をいただいたんですね。ありがたくお受けしたんですけど、なかなかテーマが決まらなくて。それで子供の頃からのことをまずは書いてみようということになったんです。
テリー 育った家柄がいいから、おもしろいよね。
池上 うーん、家柄がいいとか悪いっていうのは、あまりわかってなかったですね。祖父が歌舞伎をやっていたり、子供の頃からお弟子さんが出入りしてたりするのも、それがごく普通の風景だったので。
テリー 経済的には裕福だったんですか。
池上 祖父の家に居候していた形なんですけど、父親が母親に相談しないで工場のようなことをやりだしたので、家計はけっこう厳しかったみたい。しょっちゅうそういうことで両親がケンカしてたんです。父は手が出る、足が出るっていう。
テリー 小さい池上さんは、その光景を見ていた?
池上 もちろん。昼間は弟も見てますし、夜に食事が終わって、寝る頃に怪しい雰囲気だと、母は弟だけ先に寝かすんです。どうして私は起きてなきゃいけないかというと、言い合いが始まると、私が止め役に入るから。
テリー いくつの時?
池上 小学生の間、ずっとです。幼稚園の頃もそうでしたし。
テリー いじめられたっていう話も本にありますけど。
池上 小学校ね。つまはじきが多くて、例えばドッジボールだったら、私に集中して当ててくるとか。貼り出された絵が、私のだけ破かれるとか。
テリー どうして?
池上 「お前は京都の人間なのに、京都弁をしゃべらへんからや」と。父が家の中では標準語をしゃべらせていたので、それが学校でも出て、浮いたらしくて。
テリー そんなつらい思い出も多い子供時代を過ごして、芸能界にはどんないきさつで入ったんですか。
池上 両親の別居がきっかけで、私は弟と母と東京で暮らすようになり、時々、九代目の三津五郎の家に遊びに行っていたんですね。そんなある日、いとこ(現・十代目三津五郎)が「季実子、今度テレビの撮影をやるんだけど、見に来る?」と言うので、「もちろん行く」と返事をして。
テリー それが中学2年生の時。
池上 あの頃、まだNHKの見学コースはスタジオの中に入ることができたんですよね。人がいっぱいいる中に交じって見ていたら、こちらにおじさんが来て‥‥。その人はプロデューサーだったんですけど、「キミ、テレビ興味あるの?」「次のドラマの主役とかやってみる?」って。
テリー そんなきっかけだったんだ。すごい。
池上 「はい」って即答したんですよ。
テリー それは三津五郎さんの家の子だっていうことがあったの?
池上 いやいや、その時はまったく知られていないです。
テリー ごく普通に、見学者の女の子だと思われてたんだ。相当の美少女だったんだね。
池上 そんなことはない(笑)。
テリー そんなことなくないよー。
池上 ただね、陰のある14歳だったかもしれない。35年も一緒にいたマネージャーも、最初に会った時「箸が転がっても笑う年齢なのに、この子はいったい何だろう」って思ったって言ってました。人をどこか上目使いに見るというか。
テリー 存在感が違っていたんだろうね。
池上 どうでしょうね。