日本サッカー界ではいくつもの事件が起きているが、その中でもトップ3に入るのが、1997年の「加茂周監督更迭と岡田武史コーチ昇格」であることは間違いない。
1998年のW杯フランス大会出場を目指してアジア最終予選に臨んだ日本代表だったが、第4節の韓国戦で逆転負けすると、続くカザフスタン戦は後半ロスタイムに失点して引き分け。1位通過が絶望的になったことで加茂監督が更迭され、岡田武史コーチが監督に就いた。
この時、裏側では何があったのか。前園真聖氏のYouTubeチャンネルに出演した岡田氏自らが明らかにした。
「加茂さんがアウトになるのなら当然、俺だってアウトになる。加茂さんに呼ばれて行ったんだから。ただ、次がウズベキスタンに行って1週間後に試合。(サッカー協会の人が)監督がいないんだって。当たり前やないか、あんたがクビにしたんやから(笑)。1試合だけの約束でやったんだよ」
なんと、本来は1試合限定の暫定監督だったというのである。岡田氏は続けて語った。
「ところがウズベキスタン戦は攻めても攻めても点が入らなくて、カウンターでやられて。最後にストッパーの秋田(豊)を前に上げて、井原(正巳)に蹴れって言って、ロングボールをドーンと蹴ったらカズと秋田がクロスした。そしたらキーパーが目測を誤って、入った。『これで入るの?』と。これはひょっとしたらいけるな、って直感したんだよ」
ウズベキスタン戦後の記者会見で「これはもしかしたらいけるかも」と話したところ、ベテランの記者には嘲笑されたという。この後、岡田氏が監督を引き受ける「決意の瞬間」が訪れる。岡田氏がさらに言う。
「ロッカールームに帰ったら、みんな『これダメだ』って泣いてたんだよ。あの冷静な山口素弘までが泣いてた。それまで俺はもう苦しくて、逃げ出したかった。加茂さんはもう日本に帰られてるし、俺も早く帰りたかった。「あっ、こいつらも苦しいんだ」と。こいつらだけ置いて俺、逃げちゃいけねえって思った。加茂さんに電話して『加茂さん、最後までやらせてください』って言ったら『岡ちゃんがやれ』って言ってくださって。それで協会に行って『最後までやります。僕が責任取ります』って(監督を)やったんだよ」
しかし、次のUAE戦は追いつかれて引き分け、自力でのプレーオフ進出が消滅。サポーターが国立競技場を取り囲んだ。
「暴動が起きたからな。日本サッカー史唯一の暴動。パトカーに押し込められて、裏から逃げさせられて。ちょっとクレイジーだった。W杯って何ものかってわからなくて、みんながクレイジーになっていた。異常だった」
岡田氏はそう言って、当時を懐かしんだのである。サポーターの熱狂ぶりは度を越すこともあったそうで、
「有名になると思ってなかったから、電話帳に(個人情報を)乗せていた。そしたら脅迫状と脅迫電話が止まらなくて。俺の家の前は24時間、パトカーが守ってた。学校は危険だから子供を送り迎えしろと警察から言われて、カミさんが毎日、送り帰してた。もう、とんでもない状況に陥った」
そんな中で監督を続けた岡田氏の男気を称賛したい。
(鈴木誠)