Jリーグで最も注目を浴び、さらに最も期待を裏切った大物外国人選手といえば、元イングランド代表のFWゲイリー・リネカーだろう。イングランド・プレミアリーグで3度の得点王、1986年のメキシコW杯得点王という輝かしい経歴を誇る超大物で、1992年に名古屋に移籍。年俸は3億円と言われ、当時としては破格の待遇だった。
1993年、リネカーはJリーグ開幕から出場したものの、期待されるような結果は出なかった。原因はいくつかあるだろうが、ひと言で表すなら「チームにフィットしなかった」となる。
リネカーは自力で打開し、ゴールを決めるタイプではなかった。華麗なドリブルやミドルシュートがあるわけではなく、ペナルティーエリア内で勝負する選手だ。相手DFの裏をつく、数センチでも前に足を出す、ボールともどもゴールに転がり込んで得点を決める…。その泥臭さが真骨頂だった。リネカーを生かす選手が必要だったが、当時の名古屋には強力なチャンスメーカーはいなかった。結局、1年目はケガの影響もあり、7試合に出場して1ゴールで終わった。
2年目にはイングランド時代のリネカーの育ての親と言われたゴードン・ミルン氏が監督に就任。今シーズンこそは…と活躍が期待されたが、これが逆効果になった。
ミルン監督はケガの影響で調子が上がらないリネカーを起用し続けたことで、選手らの反感を買った。ある選手が「なんであいつが出るんだ。完全に特別扱いされている」とフテ腐れた口調で話しているのを耳にして、「あのリネカーがあいつ呼ばわりされるとは…」と複雑な思いになったものだ。
リネカー自身もチーム内の冷ややかな空気を感じていたようで、試合後に直撃すると「結果が出なくて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。なんとかゴールを決めていきたい」と話していた。彼も傷ついていたのだ。
同年の2ndステージからは、あのストイコビッチが加入。彼のチャンスメークでリネカーの復活が期待された。ただ、ストイコビッチは時おり度肝を抜くプレーをするものの、最後までリネカーと息の合ったプレーは見せることはできなかった。2年間、18試合で4ゴール。この結果を残して、リネカーは34歳で現役を引退した。
翌年から指揮を執った名将アーセン・ベンゲル監督のもとならば、リネカーを生かすことができたのではないか…そう思うと、残念でならない。
(升田幸一)