みのもんたが3月1日に80歳でこの世を去った。その生涯の絶頂期には朝と昼の帯番組でMCを務め、レギュラー番組16本を抱えていた。ギネスにも認定されるほどの「世界一忙しい司会者」だった。そんな超人的な働き方をする一方で、遊び方も超人的。数々の「酒豪伝説」を残しているのだ。
「朝青龍にも勝ったし、店で絡んできたコワモテだって潰して、難を切り抜けたこともある。ホントに丈夫な肝臓に産んでくれたことを親に感謝しないと‥‥」
生前、みのがアサ芸に語った酒の武勇伝である。みのが酒に強いことは世間に広く知られ、夜の街で腕に自信のある猛者が挑んでくるらしいのだが、そんな挑戦者を次々とナギ倒してきたというのだ。テレビのように軽妙に話すものだから、どうせ脚色が入っているのだろうと思っていたら─これがトンだ勘違いであったことを、身をもって知ることになる。
14年4月から約1年間、みのは週刊アサヒ芸能で連載を持っていた。1週間の気になるニュースを、独自の視点でブッタ斬るという内容だったが、そこはしゃべりのプロ、聞き書きのスタイルをとった。そのため、みのが社長を務める水道メーター会社「ニッコク」の応接室で毎週、顔を合わせていた。本人いわく「人生初の雑誌連載」で気合いも入っていたのか、連載開始早々に「よし、暑気払いといきますか!」と大して蒸し暑くもない時期だったが、記者を連れ立って銀座へ繰り出すことになったのだ。
1軒目は食事をしながらビールで乾杯。だが、みのの食事はあまり進まない。
「昨夜、(12年に死去した)女房が好きだったモナカを食べながら、ついつい日本酒を飲みすぎてしまってね。血糖値が心配でね」
次男の不祥事で番組降板が続いた時期で、気弱になっているのか‥‥。気を取り直した2軒目の高級クラブでは、噂に聞いた独自の作法を目の当たりに。ブランデーグラスにクラッシュアイスをいっぱいに入れて、ウイスキーのバランタイン30年を注ぐ。すぐに飲まずに、グラスの霜が凍り始めるまで待つのだ。
「よし、今が飲み頃だ」
みのの合図で口をつけると、これがウマい。みのは飲ませるだけではなく、自分もハイペースで飲んでいく。その間も話術で場を飽きさせることはない。
「お嬢さん、真向かいのスケベな週刊誌記者が、スキャンティを覗いてますよ」
と隣のホステスのミニスカの裾に手を当てると、
「う〜ん、いい香り(笑)」
と、自分の手を嗅いでみせるのだ。セクハラまがいの行為だが、毎度のことのようで、ホステスもゲラゲラと笑い転げていた。そんなこんなで、バランタインを2本は空けただろうか。気づけば記者は警視庁築地署の保護房で朝を迎えた。道路交通を阻害するほど泥酔していたらしいのだが、一切覚えていなかった。しかも、行った記憶のない店の支払い22万円をクレジットカードで切っていた。
翌週、金額は伏せて、みのに確認してみると、
「3軒目? 行ってないよ。あそこでお開きになったじゃない。『おい、みの! もう終わりか?』って残念がっていたもんね(笑)」
とんでもない粗相をしていたようだが、みのは笑って許してくれた。不世出の酒豪に献杯!