イカ天ブームを象徴するバンド「カブキロックス」のボーカリストである氏神一番(65)。人生を賭けた「イカ天」出演の動機から、恐怖を覚えた同世代バンドまでを、素顔のままで赤裸々に語り尽くす!
歌舞伎役者のようなド派手なメイクと、沢田研二が唄った「TOKIO」の歌詞を江戸風にアレンジした「お江戸-O・EDO-」で、一躍、人気バンドの仲間入りを果たした「カブキロックス」。氏神氏は、80年代半ば頃のバンドブーム前夜について、次のように振り返る。
「当時、原宿の〝ホコ天〟で演奏するのが登竜門のようになっていて、そこからプロとしてデビューするバンドも数多くいました。僕らもそこで演奏していて、同じ時期に人気だったのが、亡くなった池田貴族さんがいた『remote』や、『白虎隊』などでした。たまに、そんなバンドたちと演奏する場所を巡って小競り合いになるんですよ。そういう時は、腕っぷしの強いメンバーが対応していたので、比較的、いい場所で演奏はできていましたね(笑)」
そうした地道なホコ天での活動を経て、89年に「三宅裕司のいかすバンド天国」(TBS系)に出演。暫定とはいえ、王者に輝いた。この日の思い出で最も印象に残ったのが、とある審査員による辛辣な評価だったと初めて明かす。
「あとから本人に話を聞くと、そういう厳しい審査をするキャラを演じていたそうなのですが、『(音楽については)コメントはありません、別に』なんて言われたら、そりゃ落ち込みますよ。あるメンバーは、あまりに腹が立って、駐車場に止めていたその人のクルマのタイヤに小便をかけたぐらいですから(笑)」
音楽面では厳しい評価を受けながらも、司会を務めた三宅裕司とのトークで、見た目のキャラと裏腹なノーマルすぎるしゃべりが大ハマリ。それを機に楽曲もヒットし、テレビ出演も増加するなど、ブレイクを果たす。
この頃、氏神氏の事務所には、「GO-BANG’S」や「筋肉少女帯」「たま」といったバンドブームを代表するグループが所属。中でも、大槻ケンヂ(59)とは共通の趣味が多く、交友を深めた一人だった。
「プロレス団体のFMWを立ち上げたばかりの大仁田厚の試合を大槻君と一緒に見に行ったこともあります。『たま』のメンバーとの交流ですか? ちょっと浮世離れした人たちだったのであまり付き合いはなかったですね(笑)」
一方、イベントなどで交流したバンドの中には、カタギとは思えない雰囲気のバンドもいたとか。
「基本的に、バンドマンはフレンドリーな人たちばかりなんですが、ビジュアル系の人たちは突っ張った感じの人が多い印象でした。なんか、ジャックナイフみたいな険しい目つきをしてる人もいて、怖かったですよ(笑)」
最後に、ブームを象徴するバンドとして、派手に遊んだ思い出を聞いてみると、意外な答えが。
「当時、お金に無頓着で、レコード会社との契約金という存在も知らなかったから、普通に生活ができるレベルのささやかな収入でした。異性関係も、素顔が知られていないだけに、さほど派手にモテる感じではなかったですよ(笑)」
見た目はロックでも、中身はお江戸町民の慎ましさだったようで。
氏神一番:1959年京都生まれ。ロックバンド「カブキロックス」ボーカル兼リーダー。89年、「いかすバンド天国(TBS系)に出演後、「お江戸-O・EDO-」(90年)でメジャーデビュー。歌舞伎の隈取をモチーフにした奇抜なファッションは健在で、各種メディアで活躍中