「Romanticが止まらない」の大ヒットで、バンドブーム前夜を盛り上げた「C-C-B」。80年代半ば、同時期に活躍した「チェッカーズ」との交流や、アイドル並みにファンから追い回された日々について、元メンバーの関口誠人(65)が口を開く!
─「C-C-B」でブレイクした頃、同時期に活躍していたバンドは?
「だいたい、バンドを結成してから2年ぐらいで売れちゃって。もう自分でも訳がわからないくらい忙しい日々に突入したので、正直あんまり覚えてないんですよ(笑)。その中でも、『バージンブルー』というデビュー曲がヒットした『SALLY』は格好よかったですね。あと、『チェッカーズ』とは何度も音楽番組で共演しました。僕ら本人同士は何も気にしていなかったけど、まわりがライバルみたいな感じであおってね。アイドルっぽい見た目とバンドというスタイルが似ていたからでしょうね」
─それが理由で「チェッカーズ」と険悪な雰囲気に発展したことは?
「それは、まったくなかったですね。逆に、フミヤさんや高杢さんら何人かのメンバーと飲みに行ったりもしていました。当時、僕はお酒を飲めなかったから鮮明に覚えているんですけど、彼らはみんなスゲェ飲むんですよ(笑)。おそらく、明日も仕事だと思うんですが、『こんなに飲んで大丈夫なの?』って、心配するぐらい豪快な飲みっぷりでしたね。だから、テレビではアイドルっぽいイメージでしたけど、実際は男っぽいバンドでした」
─そんな「チェッカーズ」と並ぶ人気バンドとなったことでの苦労は?
「当時、その日のスケジュール情報が掲載されている雑誌があったんで、どこへ行っても出待ちのファンの子たちがいたんですよ。うれしいけど、身動きが取れなくなる窮屈さはありました。あと、プレゼントもありがたく受け取るんですが、ぬいぐるみが20個とかになってくると、それを運ぶだけでも大変ですからね。そういえば、北海道の稚内へコンサートに行ったら、出待ちの女の子たちが何かを入れたスーパーの袋を手渡してくるんですよ。恐る恐る楽屋で中身を確認したら、立派な毛ガニがどっさり入っていて(笑)。メンバー全員で、無我夢中で食べましたけどね」
─そうした忙しい日々だけに、ストレスも相当なものだった?
「当時、雑誌で小説を連載していて、そこで憂さ晴らしをやってましたね(笑)。日々のイライラやうっぷん、メンバーへの苛立ちも赤裸々に書いて、それがストレス解消になっていたと思いますね」
─そんな人気絶頂の最中、関口さんは87年にバンドを脱退されます。その理由は何だったのでしょう?
「一言では言い尽くせませんが、ひとつは音楽性の違いなんです。彼らはハードロック、僕はフォークが好きだったんで。だって、レコーディングの時に、息抜きで好きな曲とかメンバーで演奏するんですよ。みんなはロックなんで、僕だけ廊下に出て、ギターを持ってフォークソングを歌ってるぐらいでしたから。あと、小説の執筆や俳優などを経験して、もっと活動の幅を広げたかったというのもあります。決して、不仲が原因じゃないですよ(笑)」
─バンドブームについては、どのような印象を?
「個性的なバンドがたくさん出現したすごいムーブメントだったと思うし、好きなバンドもいました。氏神(一番)さんとは、何度も飲みに行ってご馳走になったり。それで酒の楽しさを覚えたところもあります。だから、ある時期に酒で苦労した原因のひとつは氏神さんでしょうね(笑)」
思い出したく、ないやいやい♪
関口誠人:1959年東京生まれ。バンド「CC-B」のメンバーとして、「Romanticが止まらない」や「空想Kiss」(ともに85年)などのヒット曲を連発。87年脱退後は、小説執筆や俳優など多彩な才能を発揮し、現在はアコースティックライブを中心に活動