昭和を代表する俳優・梅宮辰夫に、こっぴどく叱られた思い出がある。1984年のことだったと思う。
この年に神戸で勃発した山口組・一和会抗争、いわゆる「山一抗争」は、スポーツ紙や週刊誌で大きく報じられた。広域暴力団・山口組の田岡一雄組長が死去し、その跡目争いをめぐる抗争で発砲事件が起こり、死者・負傷者が続出。筆者が所属する媒体でも連日、このニュースを報じていた。
現場に行くことはなかったが、芸能担当時に梅宮が出演する映画の取材に行った際、雑談している最中に「山一抗争」が話題になった。
任侠映画に出演していた梅宮はこのニュースをよく見ているようで、今後の展開について、自身の分析を語った。それはなかなかの説得力があり、興味深い内容だった。
この雑談の内容を上司に報告すると「よし、それを記事にしよう」と言い出した。後悔したものの、あとの祭りだった。あくまで雑談での話であり「さすがにそれはマズいでしょう」と言ったが、そんな聞く耳を持つような上司ではなかった。それになんといっても「山一抗争」関連記事は、よく読まれるものだった。かくして「梅宮辰夫 山一抗争を語る」といった見出しの記事が出てしまったのである。
さっそく映画会社から呼び出しがあった。仕方ない、と覚悟を決めて指定された喫茶店に行くと、店の奥に厳しい表情をした梅宮が座っているのが見えた。筆者が梅宮の前の席に座ると、
「冗談じゃないよ! こんなの記事にされたら殺されちゃうよ!」
と怒鳴りつけ、延々と説教を続けた。ただ、その口調は理性的で、
「もう少し考えてくださいよ。もっと気を付けなさいよ、アナタ」
と諭すようなものだった。筆者はひたすら頭を下げるしかなかった。そんな情けない姿を見て、梅宮は30分ほどすると、
「もういいから。今後はもっと気を付けなさいよ」
呆れた口調でそう言うと、筆者を解放した。今振り返ってみれば、よくぞこの程度で済んだものだと思う。梅宮は予想外に寛容だったのだ。
(升田幸一)