「ペアヌード」に「バカップル」、さらには「腐った橋」「稀代のワル」等々、多くの名言を生み、平成のワイドショーを大いに賑わせてくれたのが、羽賀研二だった。
当時、羽賀は梅宮アンナと交際。だが、金銭感覚のルーズさもあり、アンナパパこと梅宮辰夫は結婚に大反対。すったもんだの末、1999年春にアンナが別離宣言をした。
しかし、諦めきれない羽賀は未練タラタラで、
「僕は今でもアンナを愛している。彼女もまだそう思っているはずだ」
しまいには、梅宮パパから「もやはこれまで。男らしくしなさい」と諫められるシーンが、今も記憶に残っている。
そんな羽賀に付けられたニックネームは「誠意大将軍」。当時の羽賀は、本当に「誠意を尽くして」「誠意の気持ちで」と、なにかにつけて「誠意」という言葉を連発。いつの頃からか、芸能マスコミが皮肉を込めて、そう呼ぶようになった。
アンナ問題で連日のバッシングが続く中、そんな羽賀に目を付けたのが、松竹の奥山和由プロデューサーだった。奥山氏は羽賀を近日公開する映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」の15秒CMに起用。赤穂浪士姿に扮した羽賀が「誠意大将軍」と記された陣羽織にハチマキを巻き、「誠意」と大きく描かれたノボリを手に記者会見を開いたのは、1994年10月4日である。
聞けばこの会見、同日公開された東宝映画「四十七人の刺客」に対抗するためだったらしいのだが、羽賀も「どっちを見るかは、誠意で選んでほしい」と猛アピール。会見では自分の言動を茶化すCMへの出演に抵抗はないのか、との質問が飛んだが、
「笑われてもいいんです。仕事ですから、見てくれるお客さんが喜んでくれればいいんです。今は落ち込んでいる場合じゃなく、いい意味でプラスにして仕事に反映できればいいと思っています」
いたって前向きだ。しかし残念なことに、この「誠意CM」が梅宮パパには逆効果に。「言葉より態度で示してみろ」と畳みかけられ、2人の破局を後押しする形になってしまったのである。
その後、アンナは一般男性と2001年6月にデキ婚。一方の羽賀は2007年7月の詐欺・恐喝未遂容疑での逮捕劇を経て実刑判決を受け、沖縄刑務所に服役(出所後、別件で再服役)することになった。
出所後は新宿で期間限定ホストとしてデビューした後、現在は故郷・沖縄で芸能活動を続けていると伝えられる。
捨てる神あれば拾う神ありで、芸能界というのは不思議な世界だ。出所後のインタビュー記事では、いまだ「誠意大将軍」という枕言葉が付く。いっそ開き直って「誠意」を振りかざしながら、叩かれても叩かれても這い上がり、芸能界を図太く生き抜いていく「稀代のワル」をリアルに演じてみたらどうなのか。ただ、女優陣のキャスティングは難航することになるかもしれないが…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。