人気絶頂の19歳の時には、あの伝説の写真集「Santa Fe」を出版し、大きな話題を呼んだ。しかし、この直後、婚約破棄から、激やせをする。醜聞にまつわる報道が相次ぎ、96年、宮沢は米国サンディエゴに移住するなど、メディアから姿を消した。
転機が訪れたのは30歳の時だった。03年に野田秀樹氏(59)演出の舞台「透明人間の蒸気」への出演をきっかけに、再び芸能活動への情熱を取り戻したのだった。
昨年公開の映画「紙の月」で、大学生との関係に溺れ、勤務先の銀行から多額の金を横領するパート主婦役を好演した宮沢。同作品の会見では、当時の思い出をこう振り返っている。
「30歳で野田秀樹さんの舞台に立ち、自分の無力さを思い知った。このままではいけないと思い、この数年間は舞台に目を向けた」
その「紙の月」では、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。女優開眼の裏にはすさまじい努力があったと、舞台関係者が明かす。
「当時の宮沢さんは演技に対して、相当な劣等感を持っていた。そうしたコンプレックスを払拭するために、稽古場として使っていた、暖房設備もない廃校になった小学校の体育館で早朝から深夜遅くまで、稽古に励んでいました」
その後、「鬼」と呼ばれる蜷川幸雄氏(79)など有名演出家の舞台を中心にキャリアを積んだ宮沢。13年5月、軽度の心筋梗塞で倒れた天海祐希(47)の代役として舞台「おのれナポレオン」に出演した時には、わずか2日間の準備期間で役を完璧にこなし、大きな称賛を集める。
「現在の宮沢さんを見ていると自分に自信を持っているのが見える。堂々としている理由は、舞台のキャリアが支えていると思います。野田秀樹に磨かれ、蜷川幸雄に鍛えられ、まさに目の前にいる観客の気持ちを動かすということをやってきましたから、足場がしっかりしている。ありきたりの人気女優ではなくて、きちんと一本、筋が通っている」(碓井氏)
私生活では09年4月にハワイ在住の実業家と結婚。女児を出産したが、12年5月に離婚報道が伝えられ、現在も離婚協議中。
宮沢は、インタビューなどで自身の半生について問われた際、しばしばこのような言葉を口にするという。
「試練は、ご褒美」
菅原氏は、感慨深げにこう語る。
「この世界って華やかなスポットライトを浴びれば浴びるほど、影は黒く強く出るものなのです。りえの女優人生は決して順風満帆なものではなかった。つらい時も苦しい時もあったと思う。でも、それを乗り越えてきた苦労が、新しい光となり、いろんな人に平等に対等に向き合うことのできる強さ、大きさを与えたのかなと思う」
13年に舞台「MIWA」で共演し、現在大河ドラマ「花燃ゆ」でヒロイン役を務める井上真央(28)に対して、宮沢は自身の教訓を伝え、こう励ましたという。
「2人は飲み仲間なんです。最近、宮沢さんは、大河ドラマの視聴率惨敗により批判を浴びる井上に『苦難は経験したくないかもしれないけど、苦しみとか悲しみを知っているほうが豊かになれると思うの』とエールを送ったそうです」(舞台関係者)
05年11月、ドラマ発表の記者会見で宮沢は、こう語っている。
「どんな波乱があっても健やかに笑えるのは、1人の人間として私の夢です」
さまざまな苦難や壁に直面しながらも、ますます色香に磨きがかかる宮沢。女優の枠に捉われない「スター」への第二幕は開いたばかりだ。