現在開催中のリオ五輪では、陸上男子100メートル走の世界記録保持者、ウサイン・ボルトが引退を表明していることから、その決勝戦に全世界が沸いた。
選手の一挙一動をスタートから鮮明に捉え、疾走する姿を追い続けるカメラワーク。今では当たり前となっているこの手法だが、実はハイスピードカメラも何もない50年以上前に、すでに黒澤明監督が撮影手段として考案していたという。
64年の東京五輪の記録映画は市川崑監督が手掛け、カンヌ国際映画祭の国際批評家賞を受賞した作品。その映像美とドキュメンタリーとしての観点の相違から「記録か芸術か」と物議を醸した。公開当時の観客動員数1950万人は、01年公開の「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで日本映画史上最高を誇った。映画館以外での上映を合わせれば、実質は今でも史上最高と言えるかもしれない。この記録映画を最初にオファーされていたのが黒澤監督だったのだ。ローマにも視察に行き、意欲を燃やしていた黒澤監督だが、結局、予算面の折り合いがつかずに辞退。最終的に市川監督が引き受ける形となった。
「黒澤監督は、100メートル走のレーンに沿ってカメラ専用のレールを敷き、走る選手と同時にカメラを動かせば臨場感あふれる映像が撮れると考えていたようです。当時は技術的にも予算的にもまったく無理な注文で実現しませんでしたが、世界の誰もが驚く発想でした。東京五輪の全ての国旗を風にたなびかせる映像も、元は黒澤監督の発案だと市川監督ご自身からお聞きしました。無風状態の国旗は“垂れ下がったフンドシ”のようで醜悪との思いがあったようです」(映画ライター)
4年後の東京五輪の記録映画を撮る監督は、果たして誰になるのか。黒澤監督の発想力を超える美技映像の競演を期待したい。