あの「ハーフハーフ」発言で幕を開けたフィギュアスケート界の女王・浅田真央(26)の引退狂騒劇。ラスト会見では、すがすがしい笑顔と涙で見る者をホロッとさせた。知られざる引退のウラ真相と人生の「第2幕」を巡って勃発した熾烈な争奪戦を追った。
4月12日、都内の会見場に用意された167席の椅子は開始1時間前に埋まり、報道陣は約430人、テレビカメラ50台、スチールカメラ100台という前代未聞の引退会見となった。スポーツ紙記者が振り返る。
「各社、過去の担当者の姿もあり、休日返上で来ていたデスクもいた。伝説の14年ソチ五輪フリー、その直後の世界選手権で女王に返り咲き、去就を聞かれて発した『ハーフハーフ』から、すでにまる3年。誰もが最後の決断の経緯や心の葛藤を生で聞いておきたかったのでしょう。昨年暮れの全日本選手権で自己ワーストの12位。それでも現役続行を示唆しながら、沈黙を続けていたのでなおさらです」
浅田は56分間に及ぶ会見で、記者の質問に一つ一つ丁寧に答えた。12月の全日本選手権の大敗後はリンクから足が遠のいて旅行に行っていたことまで、包み隠さずに引退決断の経緯を語った。だが、引退の原因とされる左膝の故障について質問が飛ぶことはなかった。民放局記者が話す。
「引退真相に関わる質問といえば唯一、『平昌五輪の出場枠が3つから2つに減ったことが影響したか』だけでした。真央ちゃんが『その前に決めていた』と答えたことで、『左膝の故障で引退』と受け取れたのです。いまさら詳しい引退理由は聞かなくていいでしょうというムードになりました」
浅田は会見でケガの話を一切口にせず、その潔い姿勢がファンの感動を呼んだ。
「真央ちゃんはみずからケガの話をしたことがない。報道陣の前ではサポーターやテーピング姿も見せなかった。昨年10月のフィンランディア杯(2位)で代名詞のトリプルアクセルを封印。帰国した佐藤信夫コーチが成田空港で左膝を痛めていることを明かし、後日、本人が認めたのが最初でした」(前出・民放局記者)
浅田がブログで引退報告した翌11日、佐藤コーチが報道陣の前に姿を見せた。
「そこで佐藤コーチは、浅田が12月の全日本選手権でトリプルアクセルに挑んだことに触れ、『(左膝痛は)普通では考えられない激しいもの。立派。(トリプルアクセルは)彼女のモチベーションだった。極限状態まで頑張った。それだけは間違いない』と話していました。これを受けて、スケート連盟の関係者は『トリプルアクセルの続行を黙って見ているわけにはいかない状況で、悪化させれば、日常生活にも支障を来しかねなかった』と明かしていました」(前出・民放局記者)
大ケガにつながれば、最悪、歩けなくなることも懸念されていたという。引退会見で「頑固」と自称していた浅田でも、トリプルアクセルと現役生活を諦めなければならないほど、膝の病状は深刻だったのである。