今年の夏の予選で千葉県は木更津総合が勝ち抜き2年連続6回目、埼玉県では花咲徳栄が3年連続5回目の甲子園出場を決めた。もはや両校ともそれぞれの県を代表する強豪校となった感はあるが、実はこの両県、ある時期まで不思議な法則で代表が決まっていたことがある。
まずは千葉県だが、それは「81年~95年までの15年間、公立校と私立校が1年おきに交互に出場していた」というもの。その始まりとなった81年は銚子商対銚子西(現・市銚子)という銚子市の公立校同士の対決となり、1‐0で接戦を制した銚子西が初めて甲子園への切符をつかんだ。その翌年は東海大浦安が千葉県の私立校としては27年ぶりに県大会を制覇し、これまた初の甲子園出場を決めた。以後、印旛(現・印旛明誠)⇒拓大紅陵⇒銚子商⇒拓大紅陵⇒習志野⇒拓大紅陵⇒成東⇒成田⇒我孫子⇒拓大紅陵⇒市船橋⇒志学館と続き、95年には古豪の銚子商が11回目の出場を決めている。そしてその翌年に公立勢の市船橋が3年ぶり2度目の優勝を果たしたことで、ようやくこの珍現象に終止符が打たれたのであった。ちなみに96年以降は公立勢が8校、私立勢は15校(08年は2校出場)が甲子園へ出場しており、私立勢優位の状況が続いている。
一方の埼玉県は、82年~93年の間、3年連続で公立校の後に3年連続で私立校が出場していたというもの。
82年からの3年間は熊谷⇒所沢商⇒上尾と公立勢ばかりだったが、85年からの3年間は立教(現・立教新座)⇒浦和学院(2年連続)と私立勢が盛り返した。すると88年からの3年間は浦和市立(現・市浦和)⇒川越商(現・市川越)⇒大宮東とまたも公立勢が続き、91年からの3年間は春日部共栄⇒秀明⇒春日部共栄と私立勢が独占したのだ。
この珍現象も94年に私立の浦和学院が県大会を制したことで終了したのだが、95年以降は私立校の出場か23回なのに対し、公立校はわずか2回(※98年、08年は2校出場)と圧倒的に私立校が優位となっている。
そんな埼玉県だが、実は85年に私立校の立教が出場するまでは、すべて公立校が甲子園出場を果たしていたのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)