超高校級スラッガー、清宮幸太郎率いる早稲田実が東東京大会決勝で敗れ、甲子園出場は叶わなかった。清宮自身も単独新記録となる高校通算108号ホームランを放つことはできず、最後の夏が終わったのだった。それでも清宮は今回の東東京予選6試合で4本のホームランを放ち、怪物ぶりを見せつけた。
だが、今夏の予選ではその清宮を上回るペースでホームランを量産したもう1人の怪物スラッガーがいる。神奈川県の頂点に立った横浜の4番・増田珠外野手だ。何と7試合で5本。しかも5回戦から決勝戦まで4戦連発の快挙だった。夏の神奈川県大会5本塁打の記録は、08年に大田泰示(北海道日本ハム)に並ぶ最多タイ記録である。個人連続試合本塁打4本に至っては、これまでの記録を塗り替える新記録となった。
とはいえ、上には上がいる。夏の甲子園予選での個人最多本塁打記録をマークした選手を調べてみると2人もいたのだ。しかも、ともに中日ドラゴンズに在籍していた。1人がPL学園(大阪)の福留孝介(阪神)、そしてもう1人が江の川(現・石見智翠館)=島根=の谷繁元信である。
福留は1年秋から4番に座り、95年第77回大会の大阪府予選では高校の先輩である清原和博(元・巨人など)の持つ大会記録5本を超える7本塁打を放ち、チームを8年ぶりの夏の甲子園出場へと導き、本大会でも4試合で15打数7安打2本塁打7打点。打率はなんと4割6分7厘をマークし、ベスト8入りに貢献したのだ。
一方の谷繁も高3の夏だった88年第70回大会の島根県県予選で7本塁打を放っている。その中でも特筆すべきは5試合すべてでホームランを記録している点だろう。高校通算でも42本塁打を放っている。現役晩年の打撃成績からは考えられないが、当時は“山陰の怪童”と呼ばれ、強打の捕手として高校野球界で名を馳せていたのである。当然、甲子園へとチームを導き、ベスト8まで進出。だが、谷繁個人としては期待されたホームランを放つことはできず、不発に終わった。3試合で11打数4安打2打点。3割6分4厘という成績を残して甲子園を去って行った。それでもその年のドラフトで横浜大洋(現・横浜DeNA)から1位指名され、入団。以後、15年まで現役生活を続け、日本プロ野球史上最多となる通算3021試合出場を果たし、野球史に残る名捕手の1人となっている。