今から約3年半前、医師から「余命1年」を宣告された元世界王者が壮絶な闘病の末、復活を果たした。発端は「誤診」という悲劇。その体験談を激白するとともに、今まで語られなかった、あの世界戦の舞台裏も初公開する。
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それはあまりにも突然の出来事だった。元WBA世界ミドル級王者、竹原慎二氏(45)が、医師から告げられたのは「膀胱ガン」の診断。14年2月のことである。
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実は、その1年ほど前から頻尿が気になっていて、長年つきあいのあるホームドクターのA先生に診てもらっていたんです。A先生には膀胱炎と言われてしばらく抗生物質を飲んだけど、治らない。「チャンピオンはお酒を飲むから薬が効かないんだよ」と言われて10日ほど禁酒をしてみたけど、それでも一向に症状が改善しないので再診してもらうと、今度は前立腺炎と前立腺肥大だと言われて薬を処方された。
ところがその年(13年)の大みそかの晩、血尿が出て便器が真っ赤に染まったんです。ビックリしてA先生に電話をすると、知り合いのB先生がいる総合病院の泌尿器科を紹介されて、年明け6日に受診。そこで初めて尿細胞診(尿中の細胞を鏡検し、悪性の細胞の有無を調べる検査)をやりました。その時はB先生から「様子を見ましょう」と言われて漢方薬をもらって帰ったのですが、1カ月後の2月2日にまた大量の血尿が出て、慌ててB先生を訪ねた。するとB先生は前回やった尿細胞診の結果を見ながら「よく調べたら『クラスV』って数値が出てるね~」と、そこで初めて検査結果を見たかのような口ぶりで、僕に「ガンだね」と告げたんです。その時はショックというより、あまりにもあっけなく宣告されたんで「ガン? 何で? 俺が‥‥?」と状況をよく飲み込めませんでした。尿細胞診で「クラスV」というのは「明らかに悪性腫瘍」と診断された結果で、「ガン確定」なんですよ。それなのに1カ月も放っておかれたんですから。自分からB先生を訪ねて行かなければ、何も知らないまま手遅れになっているところでした。
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95年に日本ボクシング界初の世界ミドル級王座に就いた竹原氏は、初防衛に失敗後の翌年10月、引退を表明。その後はタレントとして活動するかたわら、東京・大森で「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」を経営している。今回の竹原氏の「ガン診断告白」は、自身が先頃、上梓した著書のタイトル、「見落とされた癌」(双葉社)そのものだったのだ。
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内視鏡検査の結果、膀胱の右壁に2.5センチの腫瘍が見つかり、それが筋層まで達していたため、膀胱全摘と言われました。それでも諦めきれず、何とか膀胱温存はできないかとセカンドオピニオン、サードオピニオンも受けましたが、結局は「膀胱全摘しかない」と。そしてサードオピニオンの際に宣告されたのが「このまま何もしなければ最悪1年」。この時は「もう死ぬんだ」と、ドン底に落ちた気分でした。