10月からBS-TBSで6年ぶりに復活する「水戸黄門」。黄門様を武田鉄矢、風車の弥七を津田寛治が演じ、東日本大震災で甚大な被害を受けた東北の太平洋沿岸部が舞台の中心となることもあり、時代劇ファンの期待が寄せられている。
そんなムードに水を差すつもりはないが、「先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ」というのは「嘘っぱち」なのである。格さんが印籠を振りかざすドラマの名場面ではあるが、実は「副将軍」という役職は当時、存在しなかったのだ。諸国漫遊伝説は明治20~30年に成立した「水戸黄門漫遊記」をもとにした創作。実際に全国を飛び回ったのは、助さんのモデルとなった佐々宗淳(別名:佐々介三郎/さっさ・すけさぶろう)だった。光圀のもとで「大日本史」(光圀死後も水戸藩の事業として200年以上継続し、明治時代に完成した日本の歴史書)の編纂に携わり全国各地を資料集めに奔走したという。
ちなみにアニメ「一休さん」の効果で「トンチの小坊主」といったイメージの強い「一休宗純」も実際は、それとはかけ離れたキャラクターの持ち主だった。
一休のトンチ話が書物にまとまったのは死後200年経った「一休咄」(寛文8年/1668年)が最初で、史実としての確証はない。実際には、とんでもない破戒僧だったと伝えられているのだ。
酒屋へ入り浸り、禁忌とされる肉を食らい、遊郭にも通っていたという。さらに77歳の頃からは森侍者という盲目の女性と不貞関係となり、愛欲生活を賛美する詩を残している。
ともあれ歴史というものは、どのみち脚色されていくもの。武田黄門様なら、みずから印籠を振りかざし、一説ぶって悪人退治、なんていうのがあってもおかしくなさそうだが……。