80年以上の歴史を持つプロ野球において、複数の球団を優勝に導いた「優勝請負監督」と呼べる人物は少ない。藤本定義(巨人=1936年秋、’37春、’38秋~’42、阪神=’62、’64)、三原脩(巨人=’49、西鉄=’54、’56~’58、大洋=’60)、水原茂(巨人=’51~’53、’55~’59、東映=’62)ら69年までに3人、70年代以降になると、西本幸雄(大毎=’60、阪急=’67、’68、’69、’71、’72、近鉄=’79、’80)、野村克也(南海=’73、ヤクルト=’92、’93、’95、’97)、広岡達朗(ヤクルト=’78、西武=’82、’83、’85)、王貞治(巨人=’87、ダイエー=’99、2000年、’03 ※’04、’05は勝率1位もプレーオフ敗退)、仰木彬(近鉄=’89、オリックス=’95、’96)、梨田昌孝(近鉄=’01、日本ハム=’09)、そして星野仙一(中日=’88、’99、阪神=’03、楽天=’13)の7人だけだ。
1月4日に急逝した星野氏は、まさに弱体化したチームを根本から叩き直し、優勝に導く「闘将」だった。近年では唯一の3球団をリーグ優勝に導いた監督で、さらに、すべて前年5位以下で引き受け在任中に結果を出す、文字通りの「優勝請負人」と言えるだろう。その集大成とも言えたのが、13年。楽天監督時代、日本シリーズで宿敵・巨人を下し日本一になったことは記憶に新しい。
そして現在、その星野氏に肩を並べようとしているのが、現・楽天監督の梨田昌孝。01年に近鉄、09年に日本ハムを優勝に導いた手腕を買われ、田中将大が抜け弱体著しい楽天の再建を託されると、昨シーズンは前半戦首位を堅守。最終的には強豪・ソフトバンクに競り負けはしたが、チームの地力が上がっている印象を見せつけてくれている。
NPBの記録ではないが、06年の第1回WBCで日本代表を率いて、みごと優勝を飾った王貞治にも触れておきたい。巨人監督時代は、むしろ「勝って当然」という重圧の中、5年間で1度しか優勝していないことで指導者としての評価は低かったが、95年にダイエーの監督に就任すると、いわゆる「生卵事件」などを経つつも、今なお続く強豪への礎を築いた。
03~05年は事実上の首位(上記※参照)であり、また、本塁打868の世界記録保持者として、優勝というよりは「夢」を託された形で日本代表監督となった王監督。しかし、奇跡を起こす。1勝2敗でありながら2次リーグを突破し、準決勝の韓国、決勝のキューバに連勝。WBC初代優勝監督となったのだ。
「名将」に明確な基準はないが、こうして見れば、星野仙一は「名将である」と断言して異論はないだろう。改めて、惜しい人物を球界は失った。稀代の名将に合掌──。