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社会
「プール製造事業撤退」で…大泉洋の兄も頭を抱える「学校から水泳授業が消滅」連鎖ドミノ
ヤマハ発動機は7月3日、プールの開発・製造から撤退すると発表した。意外だが、ヤマハ発動機は強化プラスチック(FRP)を使ったプール製造の業界トップであり、1974年から約50年間、6500基以上を全国の幼稚園から大学、スポーツクラブに設置し…
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五郎丸の「あの人は今」状態がラグビーW杯に大打撃?
元日本代表FBの五郎丸歩が前半36分に負傷退場した(トップリーグ第6節)。帰国後しばらくはパッとしなかったが、途中退場したということはヤマハ発動機に帰還して“戦力”になったのだろう。「人気選手の復活は、来年開催のラグビーワールドカップ日本大…
カテゴリー: スポーツ
タグ: ヤマハ, ラグビー, ラグビーワールドカップ, 五郎丸歩
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中国人「津波ゴミ“闇”ビジネス」の驚愕実態とは?(1)
いまだ27万人以上にも上る避難者が苦しい生活を送る中、被災地に侵入しては盗人のごとく路上をあさり、私腹を肥やす不埒な外国人の存在が明るみに出た。その狡猾実態を知る業者が、全貌を怒りの告発!東日本大震災から、もうすぐまる3年。被災地復興が依然…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(3)
恭平は、チャゲアスと同じく「博多第二世代」と呼べる、長渕剛とも親友である。「剛にも飛鳥にも共通するのは、ちゃんと女の子が共感できる歌を書けること。飛鳥にはレコードになっていない曲もたくさんあるけど、剛よりもさらに可能性を感じた」そして才能は…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(2)
チャゲアスはデビューと同時に「フォーク演歌」と揶揄された。デビュー曲「ひとり咲き」が持つ独特の情感を指してのことだが、西田は、それこそが「博多っ子」の歌だと思った。「ヤマハが作ったんじゃなく、福岡の空気を吸って生まれたのが『ひとり咲き』だよ…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(1)
日本の音楽史上、最も成功を収めた男性デュオがチャゲ&飛鳥であろう。70年代の終わりにデビューを飾ると、80年代や90年代にそれぞれ大きな足跡を残す。双方が作詞作曲を手がけ、ボーカルもこなす形で切磋琢磨し、その人気はアジア全域にも広がった。そ…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(3)
売野はメンバーの1人1人が、芹澤の厳しい指導を受けた場面をたびたび見ている。「メンバーは皆、芹澤先生と呼んでいたし、ギターだけじゃなくドラムでも『ここはこうやって叩け』と手取り足取りでした」売野は2曲目の「涙のリクエスト」(84年1月)、3…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(2)
売野雅勇は、ややムッとした表情で「デビュー曲」の報を聞いた。芹澤と同じくサウンド面のプロジェクトに名を連ね、すでに何曲かのシングル候補が出来上がっていたのである。そのデビュー曲は作曲こそ芹澤だが、作詞は康珍化の名が飛び込んできている。「もと…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(1)
博多に次ぐ福岡の音楽発信地、それが「久留米」である。松田聖子、石橋凌、鮎川誠‥‥そして83年にチェッカーズが飛び出した。単にヒット曲が多かっただけでなく、彼らは「チェッカーズ以降」と表現されるほど若者文化を大きく変えた。そこには、一流の仕掛…
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第3回>長渕剛(2)
西田は長渕とともに、博多にあるヤマハ系列のスタジオをデモテープ録りに使っていた。「その近くのそば屋から出前を取っていたんだけど、それを運んでいたのがデビュー前の永井龍雲だったんですよ」龍雲は長渕と同じ78年にデビューし、翌年にはグリコのCM…