山平重樹

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(12)最後まで信念を貫いた

昭和54年には、長谷川和彦監督の「太陽を盗んだ男」(沢田研二主演)で日本アカデミー賞を受賞。名実ともに高倉健と肩を並べるまでの大スターになったといっていい文太であったが、その後の歩みは、役柄同様、健さんとはかなり違って、そこでも対照的であっ…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(11)ズッコケキャラが大成功した理由

文太にすれば、任侠映画でもギャング映画でもない、キンキンとコンビを組んだトラック運転手の2人組道中記、アクションあり、涙あり、笑いありの人情喜劇で、ちょっと下品でスケベ、おっちょこちょいだが、義理人情に弱い熱血漢という、およそ今まで演じたこ…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(10)“トラック野郎”初日のある出来事

菅原文太の「仁義なき戦い」と並ぶ代表作が「トラック野郎」シリーズだ。コミカルで下品な作風にもフトコロの深さを見せて熱演、大ヒットした。生前最後に同シリーズを語ったと思われる貴重なインタビュー肉声を紹介しながら、稀代の反骨役者が「後世に伝えた…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(6)深作監督と結びついた「人斬り与太」

文太と深作が俳優と監督として昭和44年(1969年)7月の鶴田浩二主演の「日本暴力団 組長」で出会い、初めて主役・監督コンビで撮ったのが、昭和45年1月の「血染めの代紋」だった。が、2人にとって決定的な作品となったのは、「現代や○ざ 人斬り…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(5)顔が映ることより作品のムードを重視

深作を「定型のない監督」と評した文太もまた、定型のない俳優といってよかったのではないだろうか。当時、東映本社宣伝部次長として「仁義なき戦い」の宣伝を担当した小野田啓も、宣伝ポスター用のスチールを撮る段になって、文太から言われたのは、それまで…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(4)「仁義なき戦い」は俳優の“アドリブ演奏”のようだった

菅原文太の一大出世作「仁義なき戦い」が生まれるのに欠かせなかったのが、深作欣二監督との出会いである。ともに従来の映画界の「定型」にこだわらないタイプで、その強烈な個性同士がぶつかり、激しい“化学反応”を起こしたのだ。文太が語った伝説のヤ○ザ…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(3)“仁義なき戦い”の脚本に触発されて…

「仁義なき戦い」の映画化にあたっては、原手記者の美能幸三が最後まで難色を示して難航したのだが、どうにかその見通しが立ったとき、俊藤プロデューサーが監督として白羽の矢を立てたのが深作欣二だった。その直前、深作が文太とのコンビで撮った「現代や○…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(2)初週刊誌表紙に“喜んで買っちゃったさ”

菅原文太が初めて「仁義なき戦い」と出会ったのは、東京から京都へ向かう新幹線車中でのことだった。たまたま東京駅の売店で買い求めた週刊サンケイ(昭和47年=1972年=5月26日号)に、飯干晃一のドキュメント「仁義なき戦い」は載っていたのだ。文…

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追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(1)監督と“感覚”が一致

クワッと目を見開いて、たとえ相手が親分だろうが、激情をぶつけまくる──。実録極道映画で見せた菅原文太の姿は、晩年に尽力した社会的活動の姿勢そのままだ。生前に残していた未公開肉声の封印を解きながら、「反骨役者人生」の真実に迫る!「何なんでしょ…

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