菅原文太の「仁義なき戦い」と並ぶ代表作が「トラック野郎」シリーズだ。コミカルで下品な作風にもフトコロの深さを見せて熱演、大ヒットした。生前最後に同シリーズを語ったと思われる貴重なインタビュー肉声を紹介しながら、稀代の反骨役者が「後世に伝えたかったもの」をひもとく!
昭和50年(1975年)8月30日に封切られた「トラック野郎 御意見無用」は大ヒットし、ただちにシリーズ化され、5年間で10作作られ、「仁義なき戦い」と並ぶ菅原文太の代表作となった。
封切り初日、主役をつとめた“一番星”こと星桃次郎役の文太、コンビを組んだ“ヤモメのジョナサン”こと松下金蔵役の愛川欽也、マドンナ役の中島ゆたか、監督の鈴木則文ら一行は、舞台挨拶のため、銀座丸の内東映から始まり、渋谷、新宿、池袋と都内の主だった東映直営館をまわった。どこも大入り満員の盛況で、彼らは早くも大当たりの手応えをビンビンに感じとっていた。
夕方、デコトラ(デコレーショントラック)“一番星号”とともに浅草東映に着いた一行を映画館前で待ち受けていたのは、黒山のような人だかりと「ウワァーッ!」という地鳴りのような歓声であった。ファンたちの凄まじい熱気に、文太一行の感激はいかばかりのものであったか。彼は後々までも折に触れてこのことを強い印象で思い出すことになる。
すでに午前中の観客の入りで、大ヒットは確実となり、岡田茂東映社長は鈴木則文監督の顔を見るなり、
「おい、次は正月作品や。題名は爆走一番星。どや、ええタイトルやろ」
と言ってのけたという。初物作品が封切り初日の午前中の段階で、シリーズ化が確約された(しかも2作目は正月映画に決定)というのだから、到底あり得ないような話だろう。
この「トラック野郎」、そもそもは予定されていた京都撮影所作品が1本、急遽、製作中止となり、その穴埋め的に企画された作品で、当初はあまり期待されていなかったという。
企画の提案者は“キンキン”こと愛川欽也で、彼はかねがね自身が声優として出演したアメリカのテレビドラマ「ルート66」のようなロード・ムービーを文太とのコンビで撮れないものかと考えていた。そんな愛川に「トラック野郎」のアイデアが閃いたのは、NHKのドキュメンタリー番組でデコトラ特集を見たのがきっかけだった。
キンキンはさっそくデコトラが載った週刊誌数誌を手に文太を訪ね、そのアイデアを披露し、「トラック野郎」の企画はスタートしたのだった。
文太も一昨年11月27日、「トラック野郎」ブルーレイ・ボックス特典映像用の取材に応じ、当時のキンキンとのやりとりをこう振り返っている。
「『これ、映画になりませんかね?』『おもしろそうだな』と。日本にはなかったから、そういうトラック。それじゃあ考えてみようか、いうところからスタートかな。で、東映にはすぐ『これやらしてくれよ』と。それでまあ、きっと会社のほうもおもしろそうだと思ったんじゃないか、うん」
◆作家・山平重樹