「仁義なき戦い」の映画化にあたっては、原手記者の美能幸三が最後まで難色を示して難航したのだが、どうにかその見通しが立ったとき、俊藤プロデューサーが監督として白羽の矢を立てたのが深作欣二だった。
その直前、深作が文太とのコンビで撮った「現代や○ざ 人斬り与太」「人斬り与太 狂犬三兄弟」の2本の演出を高く買っていたからだった。
〈「仁義なき戦い」のような現代劇の実録となれば、京都撮影所をメインにしてる監督より、東京で撮ってる監督がええ。深作やったらあの「人斬り与太」のタッチの延長をやれば、おもろいもんができるやろ〉
との考えだった。
ところが、東映サイドは、
「深作ではあかん。もっとおもろいもん撮れる監督に作らそう」
と一斉に反対した。深作は理屈っぽい感覚の、あまりヒットしない監督と見られていた。以前、深作と組んで正面衝突した経験のある脚本担当の笠原和夫など、深作反対派の急先鋒だった。
だが、最後は俊藤の鶴の一声で深作監督に決定、そのとき出した笠原の条件が、
「オレの脚本は絶対に直さないこと」
だった。
そんないきさつがあって、深作は笠原の台本を読んだ。結果、返ってきた答えは、
「いやあ、おもしろい。このままいきます」
というもので、笠原は思わず自分の耳を疑ったという。それほど深作という監督は、どんな脚本でもイジりまくることで知られていた。その深作が笠原の「仁義なき戦い」の脚本を、直しようのない完璧なものと認めたのだから、笠原が「別人じゃないか」と驚いたのも無理なかった。
かくて深作欣二監督、笠原和夫脚本、菅原文太主演の陣容で伝説の映画「仁義なき戦い」の撮影はスタートする。
菅原文太も、笠原のシナリオについて、こう述べてくれたものだった──。
「監督もそうだし、俳優もそうだし、津島利章氏の音楽もそうだったけれど、やっぱりいい脚本に出会うと、何か触発されてくるもんがあるんだろうなあ。自分にない力が湧き起こってくるということはあるからね。どうにもならないシナリオで仕事に入ると、もうみんなやる気をなくしてタラタラやっていくからつまらないものになるしね。それでいうと笠原さんの『仁義なき戦い』は、一つ一つのセリフに至るまで、本当によく行き届いて書いてあったからね。非常に研ぎすまされてた。笠原さんの功績は大きいと思う」
◆作家・山平重樹