今年も3.11がやってくる。津波が町と人々を飲み込んだ被災地の一つ、3000人を超える死者を出した宮城県石巻市。東日本大震災から7年が経過して、何が変わり、何が残されたままなのか──。
この2月から3月にかけて、同市を取材した。津波が襲った海岸沿いの住宅街一帯には、幹線道路が整備され、マンション型の復興住宅が数棟、建っていた。
だが、そこに人々の活気はない。まだ造成の途中ということもあるだろうが、ガランとして人の気配すら感じられないのだ。
復興が道半ばであることは、活況を呈す大型ショッピングモールでも見て取れた。そこでは毎朝、開店前から入り口に並ぶ人がいる。多くは高齢者で、開店と同時にモール内へ向かうが、特に買い物をするわけでもない。ただ屋内のベンチに座って、時に一日をそこで過ごすこともあるそうだ。ショッピングモール関係者がこう説明する。
「ベンチの高齢者の多くは、震災で連れ合いや家族を亡くした人たちです。石巻では、いまだ仮設住宅に2000人以上が住んでいますが、少しずつ復興住宅への移住も進んでいます。とはいえ、多くはマンション型の集合住宅。終の棲家は見つかっても、隣近所は見知らぬ人で、部屋に戻れば孤独ですからね。復興住宅にいたくないと、お年寄りがモールのベンチで過ごしたくなる気持ちもわからないではないですよ」
石巻市では、復興住宅の入居者の8割を占める低所得世帯への家賃軽減期間の延長を決めた。経済的な支援はできても、なかなか精神的な部分での復興支援ははかどらないようだ。
石巻市内の復興住宅に住むある高齢者はこう話す。
「復興というのは壊れたものを作り直すのではなく、新たに作ること。やはり壊れたままのものもある」
その最たる例が、震災以前に住んでいた地域のコミュニティ。壊れたまま7年が経過してしまったのだ。
本稿で1月に阪神・淡路大震災から23年を経て、高齢者の孤独死が問題となっていることを書いた。「復興住宅の孤独」に起因しており、昨年は60件以上の孤独死を数えている。
このままコミュニティの破壊を放置すれば、東日本大震災の被災地でも、同様のことが起こりかねない。
石巻日日新聞の武内宏之氏も、こう指摘している。
「目に見える復興と見えない復興があります。7年たって道路などインフラの復興は進みました。逆に時間がたって落ち着いてくると、かえって心の問題が生じてくるのです。自分が孤独であることを実感し、なぜこうなってしまったのか、自問自答しても答えが出ない。孤独なお年寄りたちも同じです」
石巻日日新聞は津波で輪転機が水浸しになり、そんな中でも手書きの「壁新聞」を制作したことで知られる。その「壁新聞」制作の陣頭指揮をしたのが、当時の報道局長だった武内氏だ。現在も被災地内部から、外部からはうかがい知れない現実を見つめている。そんな武内氏は高齢者の孤独死を防ぐ手だてを、こう説いている。
「復興住宅で『今朝、お隣さんの姿を見かけない』と思ったら、ドアを叩いて、部屋の中にまで入って行くぐらいの“おせっかい”があれば、孤独に悩む高齢者は減っていく。行政だけでなく、地域が一体になって取り組むべき課題です」
政府の方針は「復興は急げ」だ。しかし、そのスピードは復興住宅に住む被災者の心情を置き去りにするもので、「おせっかい」を焼くぐらいの余裕も必要なのだ。
ジャーナリスト・鈴木哲夫(すずき・てつお):58年、福岡県生まれ。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経てフリーに。新著「戦争を知っている最後の政治家中曽根康弘の言葉」(ブックマン社)が絶賛発売中。