陰謀とは「ひそかにたくらむ悪いはかりごと」であり、さらに「人に知られず練る計画」でもある。歴史の表舞台だけでなく、節目節目に登場するのが、魑魅魍魎が跋扈する「陰謀論」という名のファンタジー。今、再び注目を浴びている「俗説、通説のウラ側」を独自の視点により、徹底解読する。
すでに70年を超えた「戦後」だが、今なお解けない二大事件が「三億円」と「ロッキード」であろう。迷宮入りの背景にあるものとは‥‥。
ちょうど50年前、昭和43(1968)年12月10日、日本中が驚嘆した。戦後最大のミステリー「三億円事件」である。
東京・東芝府中工場社員へのボーナスを運んでいた日本信託銀行の現金輸送車が、ニセ白バイの命令で停止させられる。輸送車にダイナマイトが仕掛けられている、と告げられたために輸送車から離れたところ、ニセ白バイ隊員が輸送車を運転してそのまま逃走してしまった。真犯人は今なお行方知れずだ。
真犯人説は複数ある。根強くささやかれているのが「白バイ隊隊員息子説」である。
犯人は白バイを熟知した若者であり、「警視庁白バイ隊隊員の息子ではないか」という説が事件発生時から湧き上がった。事件から5日後、自宅で青酸カリを飲んで自殺したことも、真犯人説の疑念に拍車をかけた。
何度も現地を取材したノンフィクション作家・本橋信宏氏が言う。
「戦後最大の誘拐事件・吉展ちゃん事件を解決させた名刑事の平塚八兵衛によると、隊員の息子はシロになる。三億円犯人が事件発生前に執拗に金融機関に脅迫文を送ってきた時期、隊員の息子は鑑別所にいたのでアリバイが成立する」
陰謀説の中に「公安警察犯行説」がある。当時、過激派の街頭闘争が吹き荒れ、警視庁は事件現場である三多摩のアパートに多く住む学生活動家を洗い出すために、あのモンタージュ写真とともに、ローラー作戦の口実を作ろうとしていたというのだ。
実際にローラー作戦は空前絶後の規模で行われた。事件現場近くの都立府中高校卒業生まで容疑者リストにあがり、同校OBだった歌手の布施明、役者の高田純次まで含まれていた。再び本橋氏が言う。
「私鉄に勤務し、過去に一度、府中工場に仕事で行ったうちの父のところまで捜査が来たほど。さらに大型バイクを持っていた昭島市在住の叔父のところにも捜査が及んだ。いかに警察の捜査が広範囲に及んだかということです(父も叔父もアリバイがあった)。容疑者リストは11万人とも言われます」
また「複数犯説」もあるが、本橋氏はこれを否定。
「事件現場となった一連のコースは、熟知していれば単独でも十分可能。むしろ1人でやりたくなるコースとでも言おうか。それに複数犯だと、大金を奪ってから気分が高揚し、部外者にそれとなく匂わせる仲間がいてもおかしくない」
そして、こんな仮説を立てるのだ。
「事件から何年たってもそれらしき情報は漏れてこない。真犯人はギャンブル好きの男による単独犯ではないか。三多摩に点在する競輪、競馬場で散財して使い切ってしまったのか‥‥」(前出・本橋氏)
世界的な汚職とされたのが、76年に起きた「ロッキード事件」である。米・ロッキード社の旅客機売り込みを巡り、元総理の田中角栄が「5億円の賄賂を授受した」として逮捕。その背景には、いち早く日中国交正常化を成し遂げた角栄をターゲットに、アメリカが失脚させたという陰謀論がある。
これに対し、角栄の秘書官を務めた小長啓一・元通産事務次官が15年、意外な“真相”を明かした。
「独自の資源外交を精力的に展開したこと。特にフランスとニジェールでのウラン開発と、フランスからのウラン輸入についての交渉。アメリカからは古くからウランを輸入しており、これがアメリカ側を怒らせたことは間違いない」
いわゆるアメリカの“虎の尾”を踏んでしまったということか。長らく角栄の秘書を務めた朝賀昭氏は、問いにこう答えた。
「田中先生の積極的な資源外交に、いろんな人が『しっぺ返しを食うぞ』とは忠言していた。資源を扱う組織は世界中に相当な数があるが、それでも先生は『やらなきゃいけない』の精神だった」
それがロッキードにつながったという見方である。ただし、朝賀氏は事件そのものについては否定する。
「先生は『ロッキードなんて知らん、無念を晴らす』と終生、言い続けたし、結果的に有罪ではなく『公訴棄却』という形。これを世の中の人には勘違いしてほしくないね」
5月4日、角栄は生誕100年を迎える──。