そのグラドルの出現が、雑誌やDVD業界を大いに活性化させた。「完売女王」という栄誉ある称号を与えられた者たちは今、どう暮らしているのか。
小室哲哉の妻・KEIKOに対する裏切りを親族が訴えているが、今から20年前、やはり小室の犠牲となったのが青木裕子(41)だ。160センチ、B95(Iカップ)・W59・H87の完璧なプロポーションは「20世紀最大のグラドル」とも「完売クイーン」とも呼ばれた。
そんな青木はもともと歌手志望であり、全盛期だった小室のプロデュースでCDを出すことが内定。小室の恋人だった華原朋美とよく似た顔だちで話題性も十分だったが、青木の事務所とレコード会社で条件が折り合わず、頓挫。
「その後はインディーズのバンドで活動していたが、グラビア時代ほどの成功とはならなかった。青木は地元の山形に戻り、10年に結婚。子育てをしながら、青木の実家が経営する回転寿司店を手伝っています」(グラビア誌ライター)
母親となっても、スーパーボディは健在のようだ。
そんな青木と同じ96年の「フジテレビビジュアルクイーン」に選ばれたのは黒田美礼(40)。こちらも青木に負けず劣らずで、157センチ、B95・W58・H81のハイパーボディを誇った。
「17歳の若さで完成されたプロポーション、それにエキゾチックな顔だちも女王の称号にふさわしかった」(グラビアカメラマン)
ただし活動期間は短く、21世紀を待たずして一線から姿を消した。
「黒田ほど消息がつかめないグラドルも珍しい。映画監督と結婚したとか、パソコンのインストラクターになったとか情報が流れましたが、その真偽も不明。今後もメディアに登場することはなさそうです」(グラビアカメラマン)
バラエティー寄りの爆乳グラドルといえば大原かおり(42)である。出世作となった「出動!ミニスカポリス」(テレビ東京系)に97年から出演すると、白いブラウスのボタンを、胸を張るだけで飛ばすというオリジナル技をたびたび披露。95センチHカップの驚異的なサイズゆえに可能となった特技だった。
大原は05年、タレント活動と並行して犬のファッションブランドを立ち上げ、デザイナーとして意外な才能を発揮。そして昨年12月、姓名判断により芸名を「大原がおり」に改名したことも発表された。ただし、事務所には内緒だったそうで、今後も継続できるかは微妙である。
メジャーなグラドルとして、初めて3桁の大台に乗る103センチのバストを誇ったのが根本はるみ(38)だ。巨乳王国・イエローキャブにあっても、外国人に負けないスケールが持ち味だった。ただし、人気は長続きしなかった、とプロダクション関係者が言う。
「芸能活動よりも、趣味のサーフィンのほうに力が入っていた。地元の千葉で開かれる大会には、自分でエントリーして出場していたほど。さらに、イエローキャブの分裂騒動もあって、仕事への情熱はだんだん薄れていきました」
10年に結婚し、引退。現在はハワイに住み、サーフィン三昧の優雅な生活を送っている。
根本がグラドル初の100センチ超えなら、Jカップという規格外のサイズを初めて持ったのが夏目理緒(33)。156センチと小柄で、童顔な顔だちながらバストは98センチJカップという異次元ゾーン。リリースしたDVDは35枚と、圧倒的な数字を誇った。
夏目は11年の結婚と同時に引退を発表し、妊娠するとマタニティヌードも披露。現在は3人の子を持つ母親として奮闘している。
最後は、一部でカリスマ的な人気があった福永ちな(37)を。名古屋の歯科医院で歯科助手をやっていた頃から、その美貌とプロポーションは知られていたという。そしてグラビアデビューすると、顔も体型も似ていることから「第2のほしのあき」と呼ばれ、各誌のグラビアを総ナメに。
ただし、在籍は短く、10年に「他にやりたいことが見つかった」と引退を発表。その理由とは、自身の所属先とは違う芸能事務所の社長との結婚であった。