現在、春夏甲子園の高校別の通算勝ち星で133勝を挙げて独走しているのが中京大中京(愛知)だ。その中京大中京に次ぐ2位の勝ち星をマークしているのが、龍谷大平安(京都)である。
今大会7日目の第1試合で鳥取城北との対戦が決まっているが、この試合に勝てば、何と大台の春夏通算100勝に到達する。これは、それだけ長い歴史を誇っていることの証でもある。事実、夏の選手権で戦前に1度、戦後に2度の優勝を勝ち取っているのだ。
戦前の同校は1928年、33年、36年と3度夏の甲子園の決勝戦に進出するもすべて準優勝に終わっていた。その4度目が38年の第24回大会。当時の校名はまだ平安中で、エース・天川清三郎(元・南海)を擁して決勝戦までの4試合で18得点7失点という安定した戦いぶり。
決勝戦はこの2年前の決勝戦で1‐9と完敗している岐阜商(現・県岐阜商)との再戦となった。試合は8回を終わって0‐0の投手戦となり、9回表に平安中はエラーとタイムリーでついに1点を先制されてしまう。しかしその裏に連続四球から得たチャンスに同点、さらにサヨナラタイムリーが飛び出し、逆転サヨナラで劇的な初優勝を飾ったのである。この時サヨナラのホームを踏んだのが、力投を見せていた天川であった。
2度目の優勝は校名が平安と変わった51年第33回大会。春夏連続出場を果たしたこの時のチームはカーブに冴えを見せた清水宏員(元・毎日)がエースだった。優勝するまでの5試合中、1点差試合が3、残る2試合が3点差という接戦を制しての栄光だったが、中でも激戦となったのは準決勝の高松一(香川)戦。“怪童”と呼ばれ各校から恐れられた中西太(元・西鉄)が4番を打つ強力打線のチームだった。この強敵相手に清水は8回まで得意のカーブを連投するなど無得点に抑え、一方の打線も効果的に得点し、9回表を終わって4‐0とリードする展開に。ところが9回裏に高松一の大反撃にあい、中西に痛打されるなど3失点。一打同点どころか逆転サヨナラのピンチを招いたが、何とか後続を断って4‐3で逃げ切った。生き延びた平安は決勝戦の熊谷(埼玉)戦で、2回までに6点を挙げるなど、打線が序盤から爆発。結果、7‐4で勝利し、夏2度目の栄冠に輝いたのである。
3度目の優勝は56年第38回大会。制球力に自信のあるエース・岩井喜治(明大ー日立製作所)で勝ち進んだ。岩井は準決勝までの4試合中3試合を完封し、決勝戦へ。決勝戦の相手が宿敵とも言える県岐阜商だった。これまでに決勝戦で2度対戦し、1勝1敗。決着をつけるこの試合は2‐2で迎えた6回裏に平安が勝ち越しの1点を奪取。これを岩井が守り切り、ライバルを倒しての3度目の夏全国制覇を達成したのである。
これ以降、夏の甲子園での平安は97年第79回大会で剛腕サウスポー・川口知哉(元・オリックス)を擁しての準優勝があるものの、優勝には手が届いていない。
実は今年4月に亡くなった“鉄人”衣笠祥雄(元・広島東洋)は同校では捕手で4番を打ち、64年には甲子園春夏連続ベスト8入りに貢献した偉大なOBだ。きっと天国から母校の甲子園通算100勝と夏4度目の全国制覇を願っているに違いない。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=