●ゲスト:原田龍二(はらだ・りゅうじ) 1970年、東京都生まれ。90年、「第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリ受賞。92年、ドラマ「キライじゃないぜ」(TBS系)で芸能界デビュー。96年には映画「日本一短い『母』への手紙」で、「第19回日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞。2003年、ドラマ「水戸黄門」(TBS系)に5代目「助さん」の役でレギュラー出演。04年の第3シーズンからドラマ「相棒」(テレビ朝日系)にも出演中。17年4月より「5時に夢中! 」(TOKYO MX)金曜日のMCを務めるなど、近年はバラエティー・旅番組・温泉番組への出演も多く、「温泉俳優」の異名を持つ。山本漢方製薬「大麦若葉」CM出演中。デジタル写真集「蜜愛」「渇愛」「情愛」「純愛」(すべて講談社)発売中。11月16日、温泉紀行エッセイ「一湯入魂」(竹書房)発売予定。
「水戸黄門」の5代目「助さん」役を演じ、お茶の間でもおなじみの俳優・原田龍二。最近はバラエティー、旅番組にも進出して鍛え抜かれた肉体美を披露、その“温泉俳優”ぶりも大きな話題を呼んでいる。だが、天才テリーはその裏に隠れた硬派な素顔にすっかりホレ込んだ!
テリー お、今日はちゃんと服、着ているんだね。
原田 ハハハ、この前は全裸記者会見をやっちゃいましたからね。
テリー 最近は俳優としてだけでなくバラエティーでも大活躍で、こんな男前にバラエティー界に来られたら、お笑い芸人は困っちゃうよ。
原田 いえいえ、そんなことないですよ。
テリー だって、デビューのきっかけは「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でしょう。応募したっていうことは、自分が男前だっていうことに気づいていたんでしょう。
原田 男前というより、硬派な部分に早くから目覚めていた自覚はありました。中学の頃はアイドル全盛期で、友達は中森明菜さんとか小泉今日子さんのポスターを貼っていたんですけれど、僕だけアントニオ猪木さんのポスターを貼っていて(笑)。プロレスが大好きだったもので。
テリー わかるよ。俺も長嶋(茂雄)さんのポスター貼っていたから。
原田 最初の夢はプロレスラーになることだったんですよ。なので、夜中に1歳下の弟と、外でスパーリングをしたりしていましたから。
テリー 80年代はプロレス人気も高かったからね。
原田 特に当時の新日本プロレスは、猪木さん率いる正規軍と長州力さんの維新軍の戦いが熱い時でしたから。たまたま上野にある中学に通っていたので、学校帰りによく蔵前国技館に試合を観に行っていたんです。で、高校は私立に行ったんですが、かなり自由な校風で、金髪にピアスをいっぱいつけたパンクスとかが普通にいたので、ビックリしちゃって。
テリー それは、かなりのカルチャーショックだね。
原田 そうなんですよ。20歳の人が同級生にいたりして、それまで見たことがなかったカルチャーに影響を受けてしまって、授業中に安全ピンでピアスの穴を開けたりするようになりました。
テリー パンクファッションに目覚めちゃったんだ。
原田 確かに初めて金髪の人を近くで見た時、すごくカッコいいと思ったんですよ。でも彼はみんなと迎合しない一匹狼みたいな人だったので、そこにも憧れたんです。
テリー そうか、見た目は変わったけれど、心は硬派のままだったんだ。
原田 はい、自分の中では筋が通っていました。その後、「都会の不良はどういう感じなのかな」と気になって、チーマー全盛の時代に渋谷へ通い始めました。
テリー それって、ケンカ目的で?
原田 いえいえ、チーマーと友達になりたくて。ただ、暴走族がバイクに乗って渋谷に来た時は、バットで落としたりしてました。
テリー ひどい。それ、悪役レスラー以上じゃない。
原田 言われてみると、そうですね(苦笑)。でも、弱い者いじめをしたり、人に迷惑をかけるヤツが大嫌いなんですよ。だから、当時は「町を美化する」という名目で、そういうヤツを退治していましたね。