──今年もいろいろな方が物故されました‥‥。
五木 よく、同世代や同業の方が亡くなられて寂しいでしょうと聞かれるんですが、ぼくは全然寂しくないんですよね。井上ひさし、野坂昭如、そして一昨年は大橋巨泉、永六輔、みんな昭和一ケタ生まれの同世代がどんどんいなくなったけど、「あ、あいつ先に向こうへ往ったのか」みたいな感じで。
──プロ麻雀士の小島武夫(5月28日心不全で死去、享年82)さんのことを「週刊新潮」で書かれてました。
五木 そう。小島さんの死は、ちょっと寂しかったなあ。彼は最後のミスター麻雀だった。昔、彼からレコードを出すから詞を書いてくれって言ってきたことがあって、ぼくは小島さんの生涯を象徴するような歌を書いてやろうと、「どんな歌でも歌うかい」と聞いたら「歌う」というので、『おれはしみじみ馬鹿だった』(1979年/作曲:菊池俊輔)という歌を書いた(笑)。作曲は『昭和残侠伝』なんかを書いた菊池さんだけど、歌がヘタで売れなかったな(笑)。当時の週刊誌やテレビで、有名人麻雀大会とか麻雀が大流行してましてね。それをリードしたのが小島武夫とか阿佐田哲也(色川武大)さんで、当時の学生たちの憧れの的だった。
椎名 ぼくはいまも週にいっぺんは麻雀をやってます。新宿のアジトで20人ぐらい仲間がいて、毎回朝まで。小島さんが現役でやっている頃、テレビでよく見ていろいろ勉強しましたね。
五木 それは凄い。まだやってるんですか。小島さんには何か人に愛される人格的魅力があった。金を借りたり雀荘を潰したりする困った人だったけど(笑)。
椎名 また不思議に大きな手が入る人でしたね。皆を楽しませるためにこれで上がったんだという風なね。
五木寛之(いつき・ひろゆき):1932(昭和7)年、福岡県生まれ。作家。北朝鮮からの引き揚げを体験。早稲田大学露文科中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。76年『青春の門 筑豊編』ほかで吉川英治文学賞。主な著書に、『朱鷺の墓』、『戒厳令の夜』、『風の王国』、『親鸞』(毎日出版文化賞特別賞)、『大河の一滴』、『人生の目的』、『運命の足音』、『他力』(英文版『TARIKI』は2001年度BOOK OF THE YEAR・スピリチュアル部門)などがある。02年菊池寛賞受賞。また『下山の思想』、『生きるヒント』、『林住期』、『孤独のすすめ』などのほか、最新刊に『七〇歳年下の君たちへ』。
椎名誠(しいな・まこと):1944(昭和19)年、東京生まれ。作家。79年『さらば国分寺書店のオババ』でデビュー。『哀愁の町に霧が降るのだ(上・中・下)』(81~82)、『あやしい探検隊』シリーズ(84年~)、『インドでわしも考えた』などの紀行文、純文学からSF小説、写真集など、幅広い作品を手がけている。90年に映画『ガクの冒険』を監督し、91年には映画製作会社「ホネ・フィルム」を設立して映画製作・監督として『うみ・そら・さんごのいいつたえ』(91年)、『あひるのうたがきこえてくるよ。』(93年)、『白い馬』(95年)などを製作。90年、『アド・バード』で日本SF大賞を受賞。『岳物語』『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)、『家族のあしあと』『そらをみてますないてます』などの私小説系作品も多い。