五木 自分の死後、宇宙のゴミになるのか、あるいは来世とか後生(ごしょう)というか、そのへんはどういうふうに?
椎名 そういう関係の本を読み過ぎてちょっといま、迷いが来てまして(笑)、以前はカッコつけて、どこか適当なところに捨ててくれみたいなことを言ってましたけど、残された者に迷惑をかけないような始末のされ方も必要だと思うようになってきました。ぼくはインドに旅したときに、インドでは毎日カレーばかり食べてて、バラナシに向かってガンジス川に近づいていく頃にはもうカレーに嫌気がして、唯一カレー以外に魚のフライがあったので、その衣をとって白身魚に塩をかけて食べていたんです。そしてだんだんガンジスに近づいていくと、ご存じのようにあそこは水葬ですよね。ぼくはあそこで水葬の死体を50体くらい見ました。ぼくはバカだったのでその川で泳いでしまったんです。あとで、お医者さんにおこられましたけど、泳いでいたら、水葬の遺体とすれ違うんです。上を向いて流れてくる遺体と下を向いている遺体があって、上を向いている遺体には顔がない。目玉がまず鳥たちに啄まれて顔はザクロのようになっていました。鳥もやはり美味いところを知ってるななんて思いながらだんだん慣れてくるんですが、ここの魚たちはきっと人間の死体を喰ってるはずです。ガンジスの死体を見て、そこで輪廻転生とか、食物連鎖というのかその一つの輪の中に入るのかとも感じました。そういうふうに人間の身体も何かのエサになって、食物連鎖のようにグルグル回転するということは、理にかなった葬られ方なんじゃないかとも思いましたね。
五木 自然のサイクルの中に還るわけだ。ぼくもブッダの足跡をたどるということで何度かインドの旅をしましたが、ブッダは神や仏ではなくて人間ですから、旅の途中でその近くの鍛冶屋さんにご馳走されて、豚肉か椎茸だったかを食べて腹痛を起こして雑木林のなかで野垂れ死にするんです。そこがすごく人間的で、いいなあと思いましたね。
──立派な死、反対にみっともない死とは?
五木 人の死に方に、見事な死とか、みっともない死とか、そんなものはないと思います。後の人から褒められるような死に方をする必要もないと思いますよ。
椎名 そうですね。ぼくはお葬式に出たくないですね。だから自分のときもそうだといいなと思ってます。
五木 昔、旧満州の奉天とかハルビンでアヘン窟を見たことがあるんだけども、高級なアヘン窟はものすごく贅沢です。アヘンを吸う手続きというのはけっこう面倒くさいんだ。パイプがあってその煙をくゆらせて、横になって吸うわけだけど。うんとお金持ちの老人は、アヘン窟に行って羽化登仙の陶酔境の中で、食欲がなくなり、枯れるように死んでいく。それから貧しい人たちには、ほんとに最低のアヘン窟やモルヒネの店がある。そこでごろ寝しながら陶酔しながら死んでいく。アヘン窟は、あれは人間が去っていくときの、ひとつの中国五千年の智恵かもしれないと思いますね。死ぬときぐらい気持ちよく死にたいですから。
──尊厳死などは、どういうふうにお考えですか?
五木 生命倫理とかいろんな意見があるのはわかるけども、もうこの辺でいいと思った人は、自ら退場してもいいと思います。1月に西部邁さんの自死があったけど、もっと大きな論議の対象になるかと思っていたんですが、案外さっとパスしてしまったのは納得がいかない。
椎名 自殺も自分の意思で選べる死に方ですから悪くはないと思いますけどね。象の死に方じゃないけど、人知れずどこかにフェードアウトしちゃうというのは憧れますね。
五木 それは悪くないな。ぼくなんかシベリアの雪のなかで‥‥なんて考える。昔から旅で死ぬのは、文人の理想なんですよね。トルストイもそうだし。
五木寛之(いつき・ひろゆき):1932(昭和7)年、福岡県生まれ。作家。北朝鮮からの引き揚げを体験。早稲田大学露文科中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。76年『青春の門 筑豊編』ほかで吉川英治文学賞。主な著書に、『朱鷺の墓』、『戒厳令の夜』、『風の王国』、『親鸞』(毎日出版文化賞特別賞)、『大河の一滴』、『人生の目的』、『運命の足音』、『他力』(英文版『TARIKI』は2001年度BOOK OF THE YEAR・スピリチュアル部門)などがある。02年菊池寛賞受賞。また『下山の思想』、『生きるヒント』、『林住期』、『孤独のすすめ』などのほか、最新刊に『七〇歳年下の君たちへ』。
椎名誠(しいな・まこと):1944(昭和19)年、東京生まれ。作家。79年『さらば国分寺書店のオババ』でデビュー。『哀愁の町に霧が降るのだ(上・中・下)』(81~82)、『あやしい探検隊』シリーズ(84年~)、『インドでわしも考えた』などの紀行文、純文学からSF小説、写真集など、幅広い作品を手がけている。90年に映画『ガクの冒険』を監督し、91年には映画製作会社「ホネ・フィルム」を設立して映画製作・監督として『うみ・そら・さんごのいいつたえ』(91年)、『あひるのうたがきこえてくるよ。』(93年)、『白い馬』(95年)などを製作。90年、『アド・バード』で日本SF大賞を受賞。『岳物語』『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)、『家族のあしあと』『そらをみてますないてます』などの私小説系作品も多い。