1999年の第71回春の選抜大会は終盤に近づくにつれ、ある高校の勝ち上がりが注目を浴びていった。沖縄尚学である。
大会前の評価はさほど高くなかったが、初戦から1‐0、5‐3、4‐2とすべて僅差で勝ち上がり、ついにベスト4へ進出。県勢悲願の春夏を通しての甲子園初制覇まであと2勝と迫っていたのである。
準決勝の相手は関西の名門・PL学園(大阪)と決まった。PLは初戦の横浜(神奈川)との強豪対決を6‐5で制すと、続く2戦は15‐3、6‐0と圧勝。攻守ともに安定していて、総合力ではPL有利の評価。さらにこの時点では最も優勝に近いとされていた。
しかし、そんな予想を大きく裏切る展開が待ち構えていた。PLは前日に平安(現・龍谷大平安=京都)を完封したエース・植山幸亮の連投を避け、2番手投手・西野新太郎を起用。これが裏目に出てしまった。舐められたと思った沖縄尚学ナインが奮起、初回表に4番・比嘉寿光(元・広島東洋)が先制適時打とスクイズで2点を先制。試合の主導権を握ったのである。 この後、沖縄尚学は4回表にも1番・荷川取秀明の右前適時打で1点を追加。なおも二死満塁と攻め立てたが、ここでPLはエース・植山を投入して必死の防戦を見せる。そのPLは打撃陣が2回裏と4回裏に1点ずつを奪い、試合は6回を終わって3‐2と意外にも沖縄尚学が僅差でリードする展開となっていた。当然この流れでは先に追加点を挙げたほうが絶対的に有利になると思われた。
そして迎えた7回表。先に点を取ったのは沖縄尚学だった。1死満塁から押し出しの四球と4番・比嘉寿光の本盗で2点を追加。5‐2としたのである。
エース・比嘉公也も毎回のように走者を出すものの、打者の手元で微妙に曲がる直球でPL打線を翻弄。2回戦で右足首をねん挫した影響が残っているとは思えない好投を見せており、ここで勝負あったかに見えた。
だが、PLの伝統である“粘り”はしっかりと生きていた。その裏、沖縄尚学の比嘉寿光がなんでもない遊ゴロを一塁へ暴投。このミスに乗じたPLは1番・田中一徳(元・横浜)が四球を選ぶと2番・足立和也と3番・覚前昌也(元・大阪近鉄)が連続適時打を放ち、一気に同点に追いついたのである。そして試合は5‐5のまま、延長戦へと突入していったのだった。
延長戦に入ってもこの両校は相譲らなかった。11回表に沖縄尚学が1死二塁から3番・津嘉山人の左前適時打で1点を勝ち越すと、その裏、PLも1死三塁で1番・田中一徳が右前に執念の同点適時打。まさに死闘が展開されたのである。
この激闘の勝負の分かれ目となったのが12回表の攻防だった。沖縄尚学は2死ながら二塁と一打勝ち越しのチャンスを迎えていた。ここで9番・比嘉公也の打球は左前への浅いフライ。これをヒットにすると勝ち越しの1点が入るが、PLのレフト・田中一徳は「後ろに逸らしてもいけない場面」と、一瞬弱気になり最初の一歩目が遅れてしまった。そこから一か八かのダイビングキャッチを試みたが、打球はショートバウンドして差し出すグラブをあざ笑うかのように後ろへと抜けていった。沖縄尚学は続く1番・荷川取も左前に適時打を放ち、この回決定的な2点目を奪取。その裏、2死一、二塁と一打同点のピンチを招いたものの、エース・比嘉公也が最後の打者を見逃しの三振に打ち取り、8‐6でついにゲームセット。12回を一人で投げ抜いた比嘉の不屈の闘志がPL攻撃陣の気迫を押し返したのであった。
この翌日、決勝戦を迎えた沖縄尚学のマウンドにエースの姿はなかった。前日、計212球の熱投の影響だった。それでも二番手の照屋正悟が好投。水戸商(茨城)相手に7‐2で快勝し、チームとしても県勢としても春夏通じて初の甲子園優勝を成し遂げたのである。(高校野球評論家・上杉純也)=文中敬称略=