国民的女優の登竜門でありながら、実はスキャンダルの宝庫でもある朝ドラの主役。60年近い歴史から、世間を激震させた10人の美女をクローズアップ!
朝ドラが1年のオンエアから半年サイクルになった第1作が「水色の時」(75年)で、ヒロインは高校を卒業したばかりの大竹しのぶ(61)だった。
朝ドラは4月に始まるが、その直前の2月に公開された「青春の門」(東宝)で、大竹は若々しいヌードを披露。清純さが求められる朝ドラ女優に、まさかのヌード歴ありで物議を醸したものだ。ただ、大竹は批判を意に介さず、大女優への道も歩んでいる。
山咲千里(56)は、70年代と80年代をつなぐ「鮎のうた」(79~80年)に主演。それから十数年がたった頃、突然、こんなニュースが躍った。
〈俺は山咲千里と一晩を200万円で過ごした〉
さる実業家が暴露したものだが、正確には2回戦の前に山咲が消えたそうで「1発200万円」の単価になってしまったそうだ。半ば都市伝説と化しているが、このニュース以降、テレビから消えたことは事実である‥‥。
朝ドラ30作目の「よーいドン」(82~83年)に主演した藤吉久美子(57)は、17年のダブル不倫疑惑が記憶に新しい。夫・太川陽介とおしどり夫婦と呼ばれていたが、テレビ局プロデューサーとの関係が明るみに出て、太川が「それでも妻を許す」と会見したことで株を上げている。
正確には主演ではないが、可憐なヒロインを務めたのが「心はいつもラムネ色」(84~85年)の藤谷美和子(56)だ。民放ドラマや映画、歌でも活躍したが、同時に“プッツン女優”としても数々のエピソードを残す。
「03年には皇居坂下門にタクシーで乗りつけ、『紀宮様は私の妹、お会いしてお手紙を渡したいのです』と開門を要求。その後、1時間もタクシーの中に立てこもりました。また12年には小田原市の駅前で毎朝、徘徊する姿も写真誌に撮られています。芸能界への復帰は、厳しい状態と言えますね」(芸能レポーター)
実力派女優の若村麻由美(52)は、「はっさい先生」(87~88年)でブレイク。ドラマや映画に引っ張りだことなったが、03年に宗教団体「釈尊会」の小野兼弘代表と結婚したことで状況が一変する。
同団体が何かと悪い噂も多かったため、若村へのオファーは激減。ようやく女優業を再開できたのは、皮肉にも夫が07年に急死したためであった‥‥。
これに続いたヒロインは、「ノンちゃんの夢」(88年)の藤田朋子(53)だった。その後は橋田ファミリーの一員として「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)でも長らくレギュラーを務めたが、突如、96年にワイドショーの主役に躍り出る。
「Get out(出て行け)!」
報道陣に英語でキレたのは、ヘアヌード写真集「遠野小説」(風雅書房)の出版差し止めを巡ってのもの。写真集には尻穴まで見せた過激な写真があったが、藤田の主張が認められて差し止め処分に。ただし、藤田の好感度を爆下げしてしまったことも否めない。
藤田の恩師である脚本家・橋田壽賀子氏が激怒したのは、安田成美(52)である。太平洋戦争を描いた「春よ、来い」(94~95年)のヒロインであったが、途中で降板。
「飼い犬に手をかまれた」
自伝的作品であったために、橋田の怒りはすさまじかった。安田は降板の理由を「肉体的精神的な疲労による体調不良」としたが、真相は今も藪の中だ。
世紀をまたいだ作品となった「オードリー」(00~01年)で、主演の岡本綾(36)も将来に大きな期待が寄せられた。ところが、07年5月に「表現者としての限界」を理由に引退を発表。
「その前年に中村獅童との不倫が発覚したことが原因。獅童が飲酒運転で信号無視をしたため検挙され、その助手席に岡本が乗っていたことで巻き添えを食ってしまった。獅童は竹内結子との離婚を余儀なくされるなど、多方面に影響を与えました」(芸能レポーター)
大ブームを巻き起こした「あまちゃん」(13年)では、能年玲奈(25)がスターダムに押し上げられた。ただし、事務所からの独立騒動が尾を引いて、本名でありながら「のん」への改名を強いられることに。さらに今年3月、BSプレミアムで放送が予定されていた「あまちゃん」の総集編も、出演者だったピエール瀧のコカイン逮捕で後編放送が見送られるなど、不運が目立つ。
最後は朝ドラ初の外国人ヒロインとなったシャーロット・ケイト・フォックス(33)である。慣れない日本語で奮闘した「マッサン」(14~15年)の放映直後、アメリカで出演した映画の存在が明らかになる。
その映画とは、シャーロットのヘアヌードや騎乗位の激しい濡れ場が織り込まれた「誘惑のジェラシー」14年)である。
当時、週刊アサヒ芸能でも袋とじで紹介したが、あの美人女優に驚愕の“過去”があったとは‥‥、朝ドラ以上に好奇の目が一斉に注がれたのだった。