戦災孤児のたくましくも数奇な人生を描いて、平均視聴率47.2%という話題を呼んだ「鳩子の海」(74~75年)。劇団の研修生時代に受けた同作のオーディションでみごとヒロインの座を射止めた藤田三保子(66)=当時は美保子=だったが、思わぬ伏兵に悩まされたことも‥‥。
「いろいろプレッシャーは大きかったですけど、私の場合は主人公・鳩子の子供時代を演じた斉藤こず恵(51)の評判がものすごくよかっただけに、さらにプレッシャーが大きくなったのは間違いありませんね」
藤田がそう語るように、鳩子の少女時代を演じた斉藤こず恵は、戦災孤児という過酷な運命にも負けない健気な子──というイメージに重なり、視聴者から絶大な支持を受け、「天才子役」という太鼓判まで押されていた。その後半生を演じるというのだから、藤田のプレッシャーはさぞ大きかったのだろう。
ましてや当時、彼女はテレビ界では新人的な立場だったのだ。天才子役という“伏兵”の存在が大きく立ちはだかっていたのは想像にかたくない。
「それでも、心が折れないで鳩子を演じられたのは、なんといっても超の字が付くほど忙しかったからでしょうね。悩んだりする時間などなかった。その頃は一週間のうちに、リハーサルが2日で、本番が4日という感じで、6日間スタジオに詰めっぱなし。しかも、私は主役だから登場シーンも多く、覚えなければいけないことがいっぱい。正直、セリフを覚えるので精いっぱいで、演じること以外に気を取られている場合じゃなかった」
今もそうだが、朝ドラのヒロインとなれば国民的存在。しかも、2人に1人がテレビに釘づけになっていた時代である。そんな中での週6日の撮影がキツくないはずはない。
「私の場合、週6日の撮影だけではなく、残りの1日もなんやかんやとイベントや取材に駆り出されていたので、実質、休みはゼロでした。それでも、私は乗り切りました。スタッフに聞いたら、普通、ヒロインの女優さんは2、3日撮休があるそうですけど、それもなしで乗り切った。おかげで、『殺しても死なないヤツ』などという、ありがたくないあだ名もいただきましたけど(笑)」
文字どおり、風邪一つひくことも許されない時期を乗り切ったのである。もっとも、そのおかげで逃したものもあった。
「私、長嶋茂雄さんの大ファンなんです。今でも、昭和最大のアイドルと思っていますから。そんな長嶋さんが選手を引退した試合のあと、NHKに生出演したんです。同じ時刻にスタジオにいたんですが、私は仕事中ということで、見に行けなかった。でも『鳩子』のスタッフのほとんどは、長嶋さんを見に行っていた(笑)。今でも悔しいですよ」
そしてもう一つ、藤田を悔しがらせたものがある。
「年末恒例の紅白歌合戦。朝ドラのヒロインとして、こず恵ちゃんが出演したんですけど、私には声がかからず。え~、なんで同じヒロインなのに、って感じでした。まあ、今となってはそれも笑い話になりましたけどね」
朝ドラのヒロインよろしく、波乱万丈の撮影を乗り切った藤田であったが、もちろん「鳩子の海」がその後の人生に大きな影響を与えたのは言うまでもない。
「翌年に『Gメン’75』(TBS系)の女刑事枠に抜擢されたのも、Gメンのプロデューサーが『鳩子の海』を見て、私を認めてくれたから。その後の役者人生、今のシャンソン歌手としての活動、その原点が『鳩子』であることは間違いありません」
朝ドラから始まった藤田のヒロイン人生は、まだまだ続く。