1974年、アナウンサーとして文化放送に入社。85年にフリーに転身するものの、以来、約40年にわたってラジオに関わり続けている吉田照美(62)。深夜放送の「セイ!ヤング」をはじめ、夜9時からの「てるてるワイド」、昼の「やる気MANMAN!」(全て文化放送)と、あらゆる時間帯で聴取率NO1を獲得してきた。長くラジオを続ける秘訣とは?
「今までにいちばんうれしかったのは、やっぱり『セイ!ヤング』を担当させてもらった時ですね。78年のことでした。でも、当時は局アナの番組はもうずいぶん下火で、しかも裏番組というか“表番組”にはタモリさんの『オールナイトニッポン』があった。で、普通のことをやっていたら誰も聴いてくれないだろうと思ってやったのが“乾杯おじさん”や“東大ニセ胴上げ事件”なんです」
「乾杯──」は帰宅途中のサラリーマンが多いJR中央線に乗り込み、バッグから空のビールジョッキを取り出すと「皆さんお疲れ様です。カンパーイ!」と吉田が突然叫ぶというもの。「東大──」では合格発表の日に東大まで足を運び、番組スタッフに胴上げされた。
「その様子がテレビのニュースで全国的に放送されてしまったんです。でも、おかげで何だかバカバカしい企画をやっているラジオがあるぞってことで、少しずつ聴いてもらえるようになりました」
ところが、そんな番組も約2年半で終了。80年10月には「吉田照美の夜はこれから てるてるワイド」がスタートする。
「初の冠番組なんですけど、深夜放送にこだわりがあったし、タイトルも何かダサいなあと思って、あんまりやる気にならなかった(笑)。僕、いつもそうなんですよ。昼の『やる気MANMAN!』に移る時も、若いリスナーを相手にしゃべりたいなあと思って、本当にテンションが上がらなかったんです」
しかし、本人の意に反し、両番組ともに瞬く間に聴取率NO1を獲得。やるMANに至っては20年も続く長寿番組となった。
「もともと僕は対人恐怖症だし、特別おもしろい話ができるわけでもありませんから、いつも聴いてもらえないんじゃないかという思いから番組を始めています」
そして4月からは夕方に時間を移し、新番組「飛べ!サルバドール」が始まる。
「僕は不思議と運がいいみたいで、共演者が有名になったり、スタッフが出世したり、僕の周りにいるとツキが回ってくるみたいなんですよ。この番組を聴くと、皆さんも幸運になるかもしれませんよ(笑)」