夜を走るトラック運転手に絶大な人気を誇る「日野ミッドナイトグラフィティ走れ!歌謡曲」(文化放送)は、放送開始から45周年。長寿の秘密は、放送スタイルを昔から一貫して変えない安心感にある。
「助手席に案内役が座っているような、ドライバーに寄り添うような番組を目指しています」
スタート時から番組に関わってきたプロデューサー・南里慎二氏はそう語る。番組の放送開始は1968年11月19日。
「当時は東名高速もまだ通っていなくて、東京から大阪まで一晩かかっていました。今のようなきめ細かな交通情報もなく、運転手さんもドライブインで仮眠を取ったりしていました」
そんな長距離トラックや夜行バスの運転手向けに、早朝3時~5時の2時間生放送を「全て女性パーソナリティが担当」「曲はフルコーラスでかける」という2点の基本スタイルを守りながら放送してきた。
これまでレギュラーで関わってきた歴代女性パーソナリティは100人超に上る。文化放送のアナウンサーが多数担当してきたが、80年からは演歌歌手も起用し始めた。
「その第1号が川中美幸(55)。当時まったくの無名で、本人いわく、これでダメだったら田舎に帰るという状況でした。パーソナリティを始めた時に出した曲が『ふたり酒』。で、番組で各地のドライブインを回って“真夜中のキャンペーン”をやりましたら、一気に火がついて大ヒット。田舎に帰らずに済んだんです(笑)」
82年には番組のファンだったという故・美空ひばりもスペシャルパーソナリティを務めている。
「ある時、島倉千代子(74)が番組をやっているのを聴いたひばりさんから『私じゃダメなの?』って、レコード会社を通して問い合わせがありまして。もちろんこちらは大歓迎です。せっかくなら、ひばりさんの誕生日にやろうと、その年の5月29日の生放送になりました。交通情報に天気予報も全て1人でやってもらいましたよ」
他に松原のぶえ(61)、香西かおり(49)、坂本冬美(45)らもパーソナリティを務めた。
「みんな新人で入ってきて、NHK紅白歌合戦に出場できるレベルになって番組を卒業していく。だから『走れ!歌謡曲』のパーソナリティをやると、紅白に出られるかもしれないと言われた時代でした(笑)」
深夜から未明にかけて、女性パーソナリティのゆったりした会話と20曲前後の音楽とが、深夜のリスナーたちに届けられる。
「番組がスタートした最初の10年間は意外にも、受験生からのハガキが圧倒的に多かったんです。パーソナリティが相談相手のお姉さんという感じで、悩み事などを書いてきていました」
やがて映画「トラック野郎」シリーズ(75~79年)が公開されると、派手なイルミネーションを施した大型トラックが文化放送前に集まったりした。
「平成に入った頃、女優の戸田恵子さん(55)たちの時代にも、やはり大型トラックが数台集まって、放送が終わるのを待っていましたね。たぶん、築地の荷物を運んだ帰りだと思いますが、魚をまるまる1匹パーソナリティにプレゼントしていくんです。そんな話を、私は少なくとも3回は聞きました。パーソナリティはトラックの運転手さんにとってアイドルなんです」
番組の35周年を迎えた10年前には、コンピレーションアルバム「走れ!歌謡曲ゴールド編、プラチナ編」(各2枚組、2セット)を発売している。
「CDで聴く『走れ!歌謡曲』というもので、間にパーソナリティのナレーションが入っています。これが大ヒットしまして、当時のコンピレーションブームの先駆けになりました」
そして45周年を迎えた今年も、新しいCDの準備を進めている。今回は2枚組の1セット。6月の発売予定に向けて、今まさに選曲の作業中という。
現在のパーソナリティには歌手、グラビアモデルのほか、元レコード会社の受付嬢をしていた素人もおり、バラエティ豊かだ。
「放送スタイルを変えようと考えた時期もありましたが、そのつど、ドライバーの方たちから『今のスタイルが最高だよ』という声が寄せられました。マンネリと言えばマンネリですが、安心感もあります」
それが安全運転につながるのかもしれない。