長嶋は松井がメジャーに移籍したあとも、03年の1度しか渡米はかなわなかったが、事あるごとに電話を入れている。松井が06年に守備で手首を骨折した時も、真っ先に長嶋が電話をくれたというのだ。その時の様子について、松井はこう振り返る。
「お互いにリハビリ中だったので、逆に励まし合いました」
長嶋が明るい声を出そうとすればするほど心の内がわかるのは、懸命にリハビリに励む者同士、相通じるものがあったのかもしれない。
松井に逆境が訪れたのは09年にワールドシリーズMVPとして復活直後に、ヤンキースを解雇されたことだった。膝の故障もあり、守れないという理由もあったが、松井は守備機会が少なくなっているのにロッカールームで道具の手入れをすることだけは欠かさなかった。
これは長嶋がよく言っていた「道具に愛情を注げば、体の一部になる」という教えを守っていたのだ。そして、最後まで松井は長嶋の教えを実行したのである。
松井は長嶋と同じ38歳で引退した。引退会見で語っていたその理由こそ、かつての長嶋の引き際と同じだったのではないだろうか。つまり長嶋は、自分のプレーでファンを満足させられなかった時に、ユニホームを脱ぐことを決意した。松井も同様である。プレーでファンを満足させられなかったから潔く辞めた。
「日本に戻ってやるという選択肢もあったかもしれないが、松井秀喜のプレーができなくなる以上、ユニホームを脱ぐべきだと決断しました」
プロ生活の最後に、松井が長嶋の背番号“3”の入った「35」でプレーしたことも、2人の絆がいかに強かったかを物語っているのだ。
スポーツライター 永谷脩