騎手と競走馬の名コンビといえば、テイエムオペラオーと組んだ和田竜二騎手(35)だろう。デビューから引退までの全レースで手綱をとり、数々のドラマを生んだ。
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99年4月、和田騎手は皐月賞をテイエムオペラオーで制し、GI初勝利。当時所属していた岩本厩舎にとっても初のGI制覇だった。翌年は、京都記念、阪神大賞典、春の天皇賞、宝塚記念、京都大賞典、秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念まで8連勝。前人未到の古馬GIグランドスラムという大記録を打ち立てた。この馬の生涯成績は26戦14勝、獲得賞金18億3518万9000円。これは歴代1位で、いまだに破られていない。
それにしても、いったいどんな馬だったのか。滋賀県・栗東トレーニングセンターに和田騎手を訪ねた。
「98年8月、京都競馬場で初めて騎乗した時の印象は、変な癖もなく、扱いやすい馬だなと。そんなにすごい馬という印象も、正直なかったですね。調教を積んでいくたびに動きがよくなっていったんです」
思い出深いレースは、4歳になって最初の天皇賞(春)だ。馬が最もいい状態で、歯車がかみ合い、ベストの走りができたという。
「勝つ時も突き放す馬じゃなかったですね。余裕はあるのに、接戦になる感じで。ナリタブライアンとかディープインパクトに比べれば、派手さはありませんでした。それでも、僕だから勝てたレースもあるだろうし、逆に僕だから負けたレースもあります。2000年は前年の負けた悔しさがあったからこそ、勝てたんだと思います」
6歳最後の有馬記念(01年12月)で引退するのだが、大差やレコード勝ちはなく、僅差での勝利が多かった。当時は、どんな走りを心がけていたのだろうか。
「その頃、僕自身若かったですし、経験値も技術も浅かった。馬主さんや調教師の先生のお力で乗せていただいて、そういう状況の中で考えたことがあります。馬って、人が乗っていない時がいちばん速く走れるわけですから、いかにそういう状態に持っていけるか。馬をコントロールするのではなく、馬の走りを邪魔しない騎乗をすること、それを心がけました」
何かを仕掛けて勝たせようとすると、負けにつながる。負けていた時はそうだったらしく、馬の走りに任せれば、負けなかった。人間の欲や意図を敏感に察知する、そういう馬の癖がわかったという。
例えば、00年12月の有馬記念では、1番人気のテイエムオペラオーの前に10頭ほどがひしめき合い、最悪の展開に。しかし、最後の直線に向いた時、わずかに1頭分のスペースができた。
「ごちゃつくのはわかっていたので、最後に抜けようと考えていた。だから直線で進路が取れた瞬間は、まさにモーゼの十戒のようでした。真ん中がパカッと開いたんですよ。神様がご褒美をくれたと思いましたね」
結果は、ハナ差で1着。こうしてGI最多勝利(タイ記録)を収めたわけだが、GI8勝は果たせなかった。
「本当は8つ勝って花道を作ってあげたかった。でも、それは実現できませんでした。引退式で、競馬場を出て行く時、ふだん見たこともないような感じで震えていたんですよ。競馬場では、いつもどっしりとした馬だったけど、本当はいつも怖かったのかなと思って‥‥。それが最後の強烈な印象でした」
引退まで手綱を任せてもらえたのは、誇りでもある。一方で、馬に申し訳なかったというレースもたくさんあるという。
「競馬人生は長いので、あの馬でやり残したことは、僕が騎手として成長することで、埋めていきたい」
そう話した和田騎手。新たなコンビ誕生を期待したい。