日本映画史上、最大とも言える俳優の降板劇が起きてしまったのは、79年7月のことだった。
12億5000万円もの製作費が話題になっていた黒澤明監督の「影武者」の撮影前に行われていた2回目のリハーサルの中、主演の勝新太郎が突然、降板することとなったのだ。
「発端は、勝が自身の演技を見直すために現場でビデオを回したいと言い出したこと。これを黒澤監督は『ぼくが見ているから必要ないでしょう』と強く断ったところ、勝は、『あっちが世界のクロサワなら、オレは天下の勝新太郎だ』とにらみつけるようにして言い放った。監督も一歩も引かず、勝は自分のワゴンカーに立てこもってしまった。プロデューサーの説得にも応じずに、『帰る!』の一点張りの勝に、黒澤監督も車に乗り込んで話し合いを持ったが、『こんな気分では芝居はできない』という勝に、『それならやめてもらうしかないな』と車を降りてしまったんです」(映画関係者)
黒澤監督は、勝が謝ってくれば許すつもりだったようだが、これが大きくスポーツ紙に報じられてしまったことで、その機会が失われ、そのまま勝の降板が決まってしまったという。
「説明の会見を開いた黒澤監督は、なんとその最中にマネジャーに指示をして仲代達也に電話を入れ、勝の代役が決まりました。仲代の鬼気迫る熱演で、80年に公開された同作品はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞し、世界で大ヒット。勝は、世界にその存在を知らしめる最大のチャンスを逃すことになってしまいましたね」(前出・映画関係者)
正直、どちらも大人げない気がしないでもないが、熱い時代であったことは間違いない。
(露口正義)