そうしたいささか緊張感に欠けた細川政権ではあったが、細川自身の言葉は常になめらかであった。日本新党結党の際には、「回転ドアはいつでも回している。志ある者は誰でも、いつでも入ってきて欲しい」などと、二世議員が大挙していたそれまでの政治の閉鎖性を批判したといった具合であった。
また、それまでの「政治スタイル」も一変させて見せた。記者会見でも、それまでは総理はイスにすわったままだったが、演壇の前に立って答弁するという“欧米派”を採用した。一方でプロンプターを使って国民に語りかけるスタイルに変えた。さらに、質問者をボールペンの先で指名したり、公務以外ではいささかいかめしい議員バッジをわざわざはずすなど、古い政治家像からの脱却に腐心したようであった。
極め付きは、夫妻で飛行機のタラップを降りるときで、下で待ち受けるカメラマンに向けてさり気なく夫人にマフラーを巻いてやるなど、「パフォーマンス」ぶりは出色の総理大臣でもあった。
その細川の好きな言葉は、「寄在芙蓉第一峯」であった。細川と同じ熊本生まれで、幕末の開国論者として名の高かった横井小楠(しょうなん)のそれで、意味するところは“富士山のような一番の山でありたい”というものである。
今、細川は政治活動からはすっぱりと足を洗い、神奈川県湯河原を居宅として、陶芸、畑仕事、あるいは旅に出るなど「晴耕雨読」の日を楽しんでいる。
総理の座に就いた者の圧倒的多くがその座に執着したものだったが、細川にはそれがなかった。「殿様」は、何事もおおらかということのようであった。
細川政権以降、この国の政治はここを出発点として連立政権時代に入ることになる。
■細川護熙の略歴
昭和13(1938)年1月14日、東京都生まれ。上智大学法学部卒業後、朝日新聞社入社。昭和46(1971)年6月、参議院議員初当選。熊本県知事を経て、日本新党を結成。平成5(1993)年8月、非自民政権としての細川連立内閣組織。総理就任時55歳。その後、政界引退。現在82歳。
総理大臣歴:第79代 1993年8月9日~1994年4月28日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。