若くしてこの世を去った有名男女の人生は、まさに「太く短く」の言葉がふさわしい。さまざまな影響を与え続けた生き様は、その最期こそ大事な何かを教えてくれる。故人の霊を供養するこの時期、知られざるエピソードをごく近い関係者が明かす。
闘病生活を送っていた坂口良子が、大腸ガンの前に57歳の若さで旅立ったのは今年3月のことだった。かつては、「お嫁さんにしたい女優NO1」にも選ばれた彼女の魅力を、公私両面で見つめてきた写真家・清水清太郎氏が語る。
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良子ちゃんと僕はね、お仕事から入っていった関係じゃなく、共通の友達を通じて知り合い、メシを食いに行ったり、飲みに行ったりした、気の置けない飲み友達だったんだよ。しょっちゅう飲みに行ったのは「前略おふくろ様」75年・日本テレビ系)のあとくらいから、「池中玄太80キロ」(80年・日テレ系)が始まる前くらい。彼女がいちばん輝いていた時代とも言える頃だね。
プライベートで飲んだりした時に感じたのは、笑顔のかわいらしさ。仲間数人で飲んだりするので、他の女優さんとかタレント連中も多いんだけど、群を抜いて笑顔が光り輝いていた。それも女優としての笑顔ではないんだよね。その笑顔を見たら、みんな忘れないし癒やされる。ホント、良子ちゃんの笑った顔ってのは“100万ドルの笑顔”だった。
そんな笑顔とともに、特徴的だったのが、きっぷのよさ。金払いとかそういう話じゃなくて、ちょっと、男っぽいところがある。こっちが、ポンと会話を投げかけると、ポーンと返ってくるみたいな。いい意味でオンナを感じさせない。だから、男女という枠を超えて、長くつきあうこともできたんだよね。
プライベートでは、気心が知れた仲であった清水氏と坂口。だが、“写真家”と“女優”として向き合った彼女は、また別の魅力を発揮したという。
女優としての良子ちゃんのすごさは、演技してもしなくても同じ笑顔ができる、ということだね。彼女も自分でそれはわかってただろうし、笑顔に自信を持っていたと思う。もちろん、女優だから笑顔だけでいいかというと、そうじゃない。(カメラの前で)泣く時なんかは、20秒くらい下を向いてたかと思うと、パーっと涙が出てきたからね。
良子ちゃんとの仕事は、最初、週刊誌のグラビアで、そのあと、「置き手紙」(83年・ワニブックス)、「良子」(86年・ワニブックス)と2冊の写真集を撮った。
写真っていうのはね、基本的に女優さんも歌手も、ファンの人たちに向けての一人芝居。僕らはそれを引き出してあげる。良子ちゃんはそれをちゃんと知っていたんだよ。僕がいろいろ撮ってきてホントの意味での女優さんだったのは、彼女だけだったかもしれない。
写真集以降、坂口の私生活の変化(出産等)もあり、以前のようにプライベートでの酒席などはなくなったという清水氏。それだけに、坂口が亡くなった時のショックは大きかったようだ。
ニュースで(逝去を)聞いた時には、すごいショックを受けたよ。1日、仕事が手につかなかった。俺よりも7つも若くて‥‥。
友人としてのショックは大きいけど、芸能界にとっても大きな損失だと思う。俺は今までで、恐らく万単位の女の子を撮っているけど、その中でもいちばん印象に残っているのが彼女。あの笑顔が見られないと思うと、ただただ残念だし、寂しいね。