モデルから「11PM」の“秘湯の旅”コーナーの「うさぎちゃん」に抜擢され、一躍人気者になり「アイドルからAV転身」の先駆けとなった冴島奈緒。若い命を奪ったのは、全身に転移したガンだった。約14年、音楽活動を共にしたギタリストの冨士忠洋氏(44)が、壮絶な闘病の様子を語る。
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「彼女とは同年代なので、AV女優としての存在は知っていました」
99年、冨士氏は「音楽仲間から紹介された」と、冴島本人から連絡を受け、ロックバンド「SHR」に参加。その後も冴島の音楽活動を支えた。
「彼女はまっすぐな人。AVの時は“清楚なお嬢さん”という感じでしたが、実際は男気のある“兄貴”って感じでした。バンドでも奈緒さんがリーダーとして先頭を切っていた。音楽的には、うまいヘタは別としてアーティストとして持っているポテンシャルは高かったと思います。迷いがなく、小手先ではない、生き様がドーンと出ているような感じ。心に響くアーティストという意味では世界級でした。AV引退後は、世界を旅していたそうで、そういうのも影響しているのかな。ニューヨークにいた時は、英語も満足に話せないのにヌードモデルとして1人で営業していたそうです。具体的には言いませんでしたが、『怖い目にもあった』と話していました」
歌手としては、銀座でのライブやツアーなど音楽活動を積極的に展開していた。
「05年頃でした。バンドのピアノとして参加していた私の嫁に『生理でもないのに出血が止まらない』と打ち明けたそうです。それから少しして、リハーサルの帰りに『検査で引っ掛かって入院しなきゃいけないんだ』と、ポロッと言ったんです。だけど、病名も何も言いませんでした」
だが、見舞いに行った病院は「ガン専門」だった。
「驚きましたよ。彼女は『今のガンは治るからさ』と平然と言ってましたけど、入院中はつらそうでした。ほんの一瞬でしたが、歯を食いしばっていたことがあった。涙は見せなかったけど、ずっと強がりを続けているような感じだった。子宮頸ガンだと知ったのは亡くなってからでした。最後は、肺や体のあちこちに転移していたそうです」
冴島は、摘出手術を拒んだという。「体にメスを入れたくない。傷痕が残るから」という理由だった。
「亡くなったあとですが、ご家族の方は『切っていればよかった』と言っていました。確かに彼女は、きれいな体を維持するために、ストイックなほど気を遣っていましたからね。アスリートみたいに体を鍛えていました。これは想像ですが、女優を続けたかったのかもしれません」
今回の取材は、冴島の遺族の「家族としては、そっとしておいてほしいのですが、奈緒は忘れられることが寂しいと思う」という思いを受け、冨士氏が応じてくれた。冴島に癒やされたファンの思いは、「きっとキミを忘れない」はずだ──。