平成唯一の三冠王・福岡ソフトバンクホークスで活躍した元プロ野球選手の松中信彦は、いかにして育てられ、成長を果たしたのか。
元プロ野球選手の片岡篤史のYouTubeチャンネル「片岡篤史チャンネル」で6月28日に投稿された「松ちゃんに入団当初の話、強いチームの特徴を語ってもらったよ~♪」に、に松中が出演。当時の監督である王貞治氏の指導法について語った。
1996年、アトランタ五輪野球日本代表に選出され全日本の4番を担った松中は、結果は銀メダルに終わったものの、決勝の対キューバ戦で同点満塁本塁打を放つなど注目を浴び、その年のドラフト2位で福岡ダイエーホークス(後の福岡ソフトバンクホークス)入りを果たしている。
「全日本の4番は大成しない」と先輩に嫌味を言われながらも、1998年の後半にプロ初本塁打を打つ(この年は本塁打3本)と、翌年には本塁打23本、打点71と活躍し、この年の日本一にも貢献した。
以降、じわじわと地力をつけ、2004年には平成唯一となる三冠王に輝いた松中。王監督の指導法について、バッティングでは小手先に走らぬよう、「まっすぐをしっかり捉えろ。手伸ばしたところで打て…と。詰まったり、真っすぐを空振りとか、打ち損じたらめちゃくちゃ怒られます」と厳しく当たられていたようだ。また常に冷静沈着に見えた王監督だが、「負けたらもっと悔しがれ」と、ヘルメットを投げつけるくらいにならないと野球の神様は振り向いてくれないとも説いていたそうで、「弱いチームは隙だらけ、淡々とやっている」と今になってわかると松中も納得の様子だった。
通算317勝で日本プロ野球歴代4位の記録をもつ鈴木啓二氏は、打たれても悔しくなくなったから引退したとも言われている。王氏が監督着任するまでのホークスは、試合する前から負けていたという事だろう。
今では日本一が10回、リーグ優勝は20回を数える常勝と伝統を兼ね備えた球団へと成長を遂げており、そのなかで王監督の功績は非常に大きい。もしかしたら、王監督がいなければ平成に三冠王は生まれなかったかもしれない。
(ユーチューブライター・所ひで)